台風

「パーティーですか?」と風見は関心なさそうに問い返した。

「はい」とテーブル越しにいる茜は答えた。「今度、当社が主催して、著名な作家さんたちをご招待したパーティーを開くんです。そのパーティーに、ぜひ先生も参加していただきたいと思いまして」

「しかし、茜君」と風見は表情を渋らせた。「パーティーが嫌いなことを君も知っているだろう」

 茜はこの答えが返ってくることを想定していた。確かに、茜は風見がパーティーに参加するのを嫌がるのを知っていたのだ。

「それは承知しています。ですが、このパーティーに先生が参加なされば、新しい気分転換になると思うんです。最近の先生の筆がとまっていらっしゃるようですし、新しい刺激になれると思うのですが」

 風見灰には「風の声を聞く」という能力がある。その能力を生かし、風をテーマにした作品を多く発表していることで、著名な小説家でもある。

 ところが、風見は旅行から帰ってきたからというもの、なかなか筆が進んでいないらしかった。風見はよく、気分転換を含めた「風の声」を聞くための旅行に出る。その旅行が逆にうらめに出てしまっているらしかったのだ。気分転換の基礎が崩れてしまったある種、スランプ状態の風見に、新しい気分転換が必要だと思い、彼の担当である茜はこの提案をしたのである。もっとも、パーティーが開かれるのにあやかったのだが。

「新しい刺激にはなるかもしれない」と風見は言った。「だが、それが実を結ぶとは、あまり考えられないな。嫌いなことを無理しても仕方がないと思う」

「そういうことに関して、意外な発見があるかもしれませんよ」茜は引き下がらなかった。

 応接室の扉からノックの音が聞こえた。それとほぼ同時に扉が開き、小柄ながらもでっぷりとでっぷりとした初老の女性が、手元に盆を乗せて入ってきた。初老の女性の顔には、しわが刻まれ始めているものの、まん丸とした顔でそれを最小限に補っていて、どこか不調和音を奏でていた。

「どうしたの、灰さん」と彼女はお茶を風見と茜に出しながら、風見に尋ねた。「嫌そうな顔をしているけど、何かあったの?」

「叔母さん」と彼はその女性に言った。「まだ、わたしは茜君と話をしているんですよ」

「いえ、他人に隠さなければいけない話ではありませんから」と茜は言った。「今度、私の出版社でパーティーを開くので、先生に参加していただきたいと思いまして」

「ああ、そういうこと! 灰さんはパーティーがお好きじゃないものね。それで嫌そうな顔をしていると言うわけね」

「叔母さん??」

 風見はそういいかけたが、彼の叔母が先に口を出した。

「たまにはパーティーに参加するのもいいんじゃないですかね。灰さんは最近何か悩んでいるみたいだし、別の刺激を与えるとその悩みもふっとぶかもしれないものね。パーティーにはいろんな方がくるんでしょう? そしたら、いろんな話も聞けるだろうし、いろんな話もできますもの。それにおいしい料理だってでるんでしょう?」

 最後の言葉は茜に向かってかけられた言葉だったので、茜はうなずいた。

「そうだったら」と彼の叔母は続けた。「タダでおいしい料理が食べられるなんて、この上ないことですよ。灰さんが出席しないなら、私が出たいぐらいだわ」

「叔母さんは食事をして、話をしたいだけでしょう」と風見はたしなめた。「わたしがいっても、お土産などを持ってくるつもりはありませんよ」

「一つぐらいはもってきてくれてもいいんじゃないかしら。でも、灰さん、おいしい料理を食べたり、知らない人と話したりするのは、家で悩んでるより、よっぽどいい気分転換になると思うわ」

 視線を床に向けながら、風見はソファにもたれかかった。普段、紳士的な雰囲気を出している彼が、このような態度をとるのは珍しかった。

 茜は、彼の叔母に勇気をもらったのか、すばやくバッグからファイルを取り出して、さらに一枚の用紙を風見の前に差し出した。

「これが、パーティーの要綱です」

 風見は視線を上げ、その要綱が書かれた用紙を受け取った。彼はその要綱をつまらなそうにみると、一瞬、何か驚くべき事実を発見したように眼を開かせたが、再びつまらなそうに読み出した。

「やっぱり、パーティーに参加するのは、辞退させてもらうよ」と風見は要綱を茜に返しながら言った。

「何かご都合の悪いことがありましたか……?」

「パーティーが催される日だが、その日は確か天気が悪い日だった覚えがあるんだ」

 茜は用紙を見直した。パーティーが催される日は、再来週のことだ。まだ、天気予報ですらも、天気を測定していないというのに、なぜそんなことがわかるのだろうか。

「もちろん、風の伝えだよ」と風見は答えた。「茜君は、遠い地??東南アジアのほうだが??台風が最近発生したということを知っているかね?」

 そんなことを知るわけがなかった。東南アジアの天気などに興味はさらさらなかった。

「その台風の一部の声が、私に届いたのだ。それから推定して、おそらくこの日は天気が悪い日だろうと推定される。もっとも、信用するには、情報が薄弱すぎるきらいはあるが」

 これが風見の「風の声を聞く」という能力である。どんな能力なのか、茜は詳しく説明されていないし、彼の文中にも言及されていないので詳細はわからない。だが、風を受けることで彼は風から情報を受け取ることができるのだ。その情報は風の声として彼に届き、彼はその「声」を聞くことができるという。

「でも、その日の天気が悪いと何か問題があるんでしょうか」と茜は指摘した。「パーティーはホテル内で行いますし、当日私が間に合うように車でお迎えにあがりますから、天気が悪いからといって、特に問題にあるとは思えないんですが」

「わたしはそういうことが言っているわけではないんだ。つまり????」

「行きたくないからって、そんなあら捜しするようなまねはよしなさいよ」と彼の叔母が横槍を入れた。「茜さんだって、せっかくの好意で誘ってくださってるんだから、断っちゃ悪いわよ。茜さんに失礼じゃない」

「いえ、そんなことは」と茜は言った。「もちろん、先生が嫌だとおっしゃるなら、私が強制をしたりはいたしませんから。パーティーに参加されないからといって、何か問題があるわけでもないので、先生のお気持ちを優先させてください」

 風見は、茜と叔母を交互に見、彼は視線を下に下ろした。

「わかった、そのパーティーに参加するよ」

「本当ですか。ありがとうございます!」と茜は嬉しそうに言った。

「ただ、本当に気をつけるんだ。それだけは先に言っておく」

 その風見の意味深な言葉を茜は、不思議に思いながらも、特に突っ込んだことは聞かなかった。なにせ、風見の気が変わらないうちに、パーティーの詳しい概要を説明し、パーティーに参加する気を損ねてはいけないと躍起になったからである。

 説明が終わると、茜は彼の叔母とともに、応接室から風見を残したまま退室した。

「今日はありがとうございました、六条さん」と茜は靴をはいてしまうと、見送りにいた彼の叔母に言った。「おかげさまで、先生もパーティーに参加してくださるようになりました」

「それぐらい何の問題もありませんよ。灰さんも仕事をしていだかなきゃ、私の職もなくなっちゃいますものね。ぜひとも、新しい小説に取り掛かってほしいものですよ。そうだ、もしよかったら、パーティーで持ち帰りできるものがあったら、もってきてくださらない?」

「わかりました。何か、ありましたらもってきますね」

 茜は食い意地の張った人だなぁ、と思いつつ、風見家を辞去した。


 風見灰の「風の声」を聞く能力を疑っている者は、当然ながらいる。そんな能力があるはずがない……そう、言っているだけだ……常に批判的な言動をするものは、世の中にごまんといるのだ。

 だが、彼の能力は本物である。パーティーに参加するのを承諾し、それから数日が過ぎていくにつれて、次第に天気予報では台風情報が流れ出すようになった。詳しい日取りは、まだ憶測の域を出ていなかったが、パーティー開催の前日に台風は、日本列島を横断する形をとるとされていた。

「台風、来ているようですね」と茜は彼の原稿??といっても、それほど量の多いものではない??を受け取りに来たとき言った。

「風たちも好きで台風被害を出しているわけではないのに、人間にいやがられる目で見られるのがかわいそうだよ」と風見はつぶやくように言った。「そもそもにおいて自然の摂理なのだから、それに反して生きている人間が悪いと言うのにね」

「ですから、早めに警戒をするように言ってるんですよ。そうすれば、なんとか被害は大きくならなくて済むじゃないですか」

「どんなに警戒をしても、自然の摂理に反すれば、壊されるさ。自然の力は、わたしたちが思っている以上に強いものなのだから。たとえば、いくら警戒しようとも、交通の麻痺などは阻止することはできない。??茜君のところのパーティーにも、もしかしたらそのせいで、参加できないかもしれないな」

「大丈夫ですよ、台風が来るのはその前日なんですから」

「天気予報と『風の声』、どちらがあっているか……それはわからないが、わたしは台風がパーティーの日にこの薄汚い東京と言う町に襲い掛かるものだと思うね。もっとも、沖縄じゃなし、こんなところでは、たくさんの『風の声』を聞くことはできないが。この辺の風は常に泣いているのだから…………」

「それでは、早めに行きますか?」

「絶対にわたしをパーティーに参加させたいなら、それもいいだろう」と風見は真顔でそう言った。「だが、茜君、おおかた車で行くのだろうが、運転する人に、来るときも向かうときも注意するように伝えるといいね。早めということは、目につかまることになるかもしれないからね……」

「目? それは、台風の目のことですか?」

 風見は何も言わず、うなずいただけだった。彼は椅子を回転させて、茜に背を向け、彼女との話はこれで終わりだ、というのを物語っていた。


「君が運転手か」と風見は口からただできたような関心なげな声で言った。

 風見の家に車を乗り付けてきたのは、ほかならぬ茜自身だった。茜はパーティー用に普段よりマニキュアやら髪型やらをめかしこんでいたが、普段の身なりと大きな大差は見られなかった。

「はい。私が先生を会場までお送りします。それにしても、先生の予言どおりになりそうですね、この天気だと」

 このとき、轟音のような風音を立てながら吹いていた。空は灰色の空といってよいほど曇っており、一部は灰色どころか真っ黒に染まっていて、今にも雨どころか雷を鳴らすぞ、と叫んでいるようだった。

「天気予報でも今日だと言っていただろう」と風見は言った。

「それでも、まだ天気予報が違う日に直撃すると言っていたとき、先生は東京に今日、台風が当たるとおっしゃってたじゃないですか。確かに天気予報は徐々に予報を変えて、最終的に今日になりましたけども」

「『風の声』に耳を傾ければ誰でもわかることさ。茜君だって、耳を傾ければ聞こえるはずだよ」

 風見は、この「風の声」を聞く能力を誰でも聞こえるものである??自分だけの特別な能力でないと考えているのである。そのことは、彼の口癖でもあり、彼の著作の中にも記されていて、「風の声」を聞くように常に促していた。

 茜は、パーティー会場のあるホテルへと車をスタートさせた。風はとても強く、時々は車が揺れたり、ハンドルがとられたりもしていた。茜はそのたびにハンドルをさらにしっかりと握らねばならず、通常時も常に普段より注意しなければならなかった。

「まったくすごい風ですね」信号が変わるのが遅い、信号に車を引っ掛けられると茜は言った。「さっきから車もかなり揺れていますし。この台風、九州のほうでは、家の屋根を吹き飛ばしたり、場所によっては木が倒れたりと、だいぶ大きな被害を出しているみたいですね」

「台風とはそういうものなのさ。いくら人間が対策をとったところで、自然の摂理に逆らうことはできない。所詮、人間など自然にとってはちっぽけな存在でしかない。人間はえてして見栄っ張りだ。だから、その事実を認めようとせず、自然を破壊し、人間の脅威をなくそうとする。そうして人間は優越感に浸るが、その結果が自然の反感を買い、自然と人間社会のバランスが取れなくなったことによって、このような台風による被害が大きくなるんだよ。まったく、人間なんておろかな存在でしかない????もちろん、わたしもね」

「でも、人間だってうまくやっていくことはできるはずでしょう?」

「そりゃそうだ。だが、うまくやっていないから、こんなことになっているんだ。この車という発明品だって、自然にとっては大きな影響を与える危険物でしかない。電車だってそうだ。電気を発電するのに、どれだけの影響を自然に与えているのか計り知れない。エコという運動はいいが、所詮、それは自然の怒りの慰めでしかなく、自然が許したわけではない。??それに、一回壊れた自然が元に戻るには時間がかかる。台風だって、自然の怒りの一つさ。風は風は泣いてるよ…………自らをコントロールできずに暴れまわるしかないのだから」

「ですが????」

 と、信号が切り替わり、茜は再び車をスタートさせなければなくなり、同時に緊張感を取り戻さなければいけなかった。すでに首都高に入っていたし、台風のほかビル風等の影響も出始め、油断すると簡単にハンドルが取られてしまうのだった。

 しばらくして、茜はふっとあることに気がついた。先ほどから、まったくといっていいほど、車体が大きく揺れなくなっていたのである。??つまり、風が収まってきていたらしいのだ。依然として首都高を走行しているから、それなりの緊張感はあるが、当初の緊張感よりは幾分か和らいでいた。

「目だ…………」そのとき風見はつぶやいた。

「目?」と茜は復調し、聞き返した。

「茜君」風見は茜の問いを無視していった。「いったん、車を下におろしたほうがいい。こんな高いところを走っている必要はない」

「ですが、こっちのほうが早いですよ。確かに少し込んできているようではありますけども」

 茜はちらっと時計をみた。今から降りるとなると、会場に遅れる可能性があるのが、わかった。

「早い遅いの問題じゃない。とにかく、降りてくれ」

 さすがに逆らうわけにはいかなかった。茜はしぶしぶ首都高から一般道に降りると、風見はいったん車を止めるように指示した。風見は窓を開けた。風はどうやら吹いていないらしかった。

「いったいどうしたんですか、先生」と茜はちょっと苛立ちを見せた声で言った。

 風見は茜の問いに答えず、座席に座りなおしてから目を閉じた。そして、一言だけ言った。「風が吹くまで車を出してはいけない」

 この行動に茜は困惑せざるを得なかった。確かに変わったところのある風見灰という小説家に、彼のデビュー当初からかかわっているものの、こんなことはほとんどなかったからだ。たいてい、自らの意思で行動し、他人に迷惑をかけない彼だが、こんなことが一度や二度はあった。しかし、それは時間の余裕があったときで、今は急いでいた。しかし、風見はまったく口を開こうとはしなかった。

 目……風見がこの台風に対してよくつぶやく言葉。彼は目は台風の目だといった。しかし、いったいそれがどうしたというのだろうか。

 もし、仮にこの風の静けさが台風の目だとしたら、それは逆にチャンスなのではないか。風がないのだし、今なら車を動かすにはちょうどいいときだ。それなのに、風が吹き出してから、彼は車を動かせと言う。いったい、風見は何を考えているのか、茜は考えずにはいられなかったが、考えてもまったくその回答は見えてこなかった。

 やがて、風見があけていた窓から風が吹き込み始めた。茜は今現在目をつぶっていて、眠ってしまったのかと思う風見を横目で見ながら、エンジンをかけて車をスタートさせた。この停車で予定の時刻に到底間に合わなくなってしまって、彼女は苛立っていた。

 後部座席から音が聞こえてきた。風見は窓を閉めていた。


 パーティー会場に到着したのは、パーティー開始から三十分たった頃だった。風見も茜も、外出時にそれなりの身なりは整えていたから、到着後すぐに会場入りすることができた。また、オープニングが終わっていたらしく、会場がざわついていたから、さほど目に留まることもなかった。

 パーティー会場は、レッドカーペットを敷き、天井にはシャンデリア、壁は金色に似た色をしているというドラマとかによく出てきそうだった。軽く三百人は入ることができるだろうという広さで、その光景がどこを見ても続いていた。中にいる人物たちは、みなそれなりの格好をしているが、いわゆる平服であり、必ずしも黒系の服を着ている人物とは限らなかった。中には平服の意味を取り違えている者もいるようだった。その者が、片手にグラスを持っているのを見ると、その光景はまったく滑稽に、また、違和感を感じた。

 茜は風見を連れて、人々の合間を縫うように視線を運び、誰かを探していた。どうやら、その光景を見たのか、もう五十の壁を越え、いかにも定年ですよといった感じの頭が禿げ上がった中背の男が彼らの方へと近づいてきた。中背で小太りということもあり、えらそうには見えないがどこか高い地位で、私は偉いのだ! と主張しているような感じが、いかにも滑稽だった。

「これはこれは、よくいらしてくださいました、風見先生」とその男は言った。

「風見先生、ご紹介いたします」と茜は言った。「こちらは、編集長の森羅さんです」

「初めまして」と森羅は手を差し出した。風見は握り返した。

「いやはや、まったくこれが初めてお会いするというのは、驚きですね」

 意外かもしれないが、風見は茜の上司である森羅編集長をまったく知らなかった。長年付き合っている出版社であったが、事はすべて茜を通じてやっていたし、パーティー等にも参加しない彼だから、なかなか会う機会がなかったのである。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません」と風見は言った。「すべて、茜君に一任してしまい、お会いすることもなく、また、本日このように遅れてしまったことを大変申し訳ないと思っております」

「いいんですよ。一切の事情等は、岩崎さんを通じて知っておりますから。今日も風が強かったでしょう。なにぶん台風が近づいているとかで、道路も込んでいたのでしょう、仕方のないことです。先生なら、その風の声とやらも聞くことができるのでしょうが」

「編集長も聞くことはできると思いますよ」

「ははは、まあ、せっかくのパーティーですから、ぜひとも楽しんでいただければ幸いです」

 森羅はその場を辞去していった。

「パーティー会場に入れば、後はご自由になさってください」と森羅がいなくなると茜は言った。

「そうはいってもね」と風見は渋るように言った。「わたしはこういうのになれないからどうしたものか……」

「みなさんとお話をすればよいのですよ、風見先生」

 そう言ったのは茜ではなく、彼らの後ろから話しかけてきた者だった。振り向くと、そこには森羅よりも恰幅がよく身長も高い、威圧感を与える大柄な男が立っていた。獲物を捕らえるような鋭い目をしているが、口元は薄ら笑いをして相手を皮肉っているのをうかがわせる人物だった。

「ここにいるのはみな作家です。作家同士ならいろんな話も弾むことでしょう。よろしければ、私とご一緒しませんか」

「ありがとうございます」と風見は丁重に答えた。「ですが、大変申し訳ない。わたしはあなたを存じていませんでして、お名前はなんとおっしゃるのでしょうか」

「カンドリといいます。木へんに尾っぽの尾の梶と鳥取のとりと書いて梶取です。もちろん、とりは飛び立つ鳥のほうではありません」と彼はニヤッとした。

「わたしは風見といっています。どうやらわたしのことをご存知のようなので、漢字はわかると思いますが」

「おお、わかりますよ。あなたにぴったりの苗字ではありませんか? あなたは風をテーマにした作品を書くのでしょう。なんでも『風の声』を聞くことができると言う話じゃないですか。それはつまり…………風を見るというのとも、ちょっと似てますものね」

「あながちね」と風見はつぶやいた。「もっとも、『風の声』は誰でも聞けますよ。梶取さん、あなたもね」

「ほう、それはどうしたら聞けるものか知りたいですね。なにぶん、わたしには『風の声』は聞こえませんのでね」

 茜はこの梶取という男が、いかにも風見を批判的、皮肉を言っているのがわかった。詳しいことは知らなかったが、梶取は確かさまざまな分野における批評家であり、特に料理に関しての批評には定評があった。その批評を作品に盛り込み、まるで探偵小説における某美食家探偵の物語を再現しているのが特徴だった。

 だが、その男がなぜ、風見にこう切り込んでいくのか、それはまったくわからなかった。それに、風見はそれに気づいていないかのように、淡々と彼の皮肉に答えて言った。

「それは聞きたいと思わなければいけません」と風見は言った。「人間は自然を粗末に見すぎている。環境問題というので、大々的に騒いでいますが、それに気づくのにいったい何年という歳月が流れたか、まったく驚くというよりあきれざるを得ません。ただ、その環境問題に積極的に取り組んでいるからといって、風の声を聞くことができるのではなく、真に自然を愛してこそ、風の声を聞くことができるとわたしは思っています」

「しかし、自然を愛している人間が聞こえるとは限りませんよね。テレビに出演している人で、そういう人は多く見ますが、誰一人として、『風の声』というものに触れようとはしない」

「『風の声』を知らないもしくは、真に自然を愛していないか。ほかにも、変な人間に思われるとかが嫌な人もいるのでしょう。わたしにはその心理がわかりませんが」

「でも、『風の声』などというものは、荒唐無稽なこととは思いませんか。それこそ、ファンタジーの世界で植物がしゃべる児童文学だ。彼らに頭脳などと言うものはない。よって、しゃべることも考えることもできないはずでしょう」

「それは人間の偏見でしかない。現に植物だって生きていますよ」

「だが、風は生きているとはいえないのではないですかな」

 風見がそれについて反論を言おうとしたとき、彼らの背後から梶取を呼ぶ者があった。茜が確認したところでは、呼びかけた者は、彼の同僚である担当者であった。おそらく、彼の担当者なのだろう。

「失礼、どうやらお呼びがかかってしまいました」と梶取は言った。「このことはまた近いうちにお話したいですな。あなたの意見をもっと聞きたいものです」

「喜んでお話いたしますよ」と風見は真顔で言った。

 梶取は、薄ら笑いを浮かべながら、軽く会釈し、その場を去って行った。


 茜は風見と梶取のやり取りを見て、頭を悩ませていた。めったにパーティーに参加しない風見に対して、しょっぱなからこんな皮肉を言い浴びせられたら、風見も気分を害し、今後パーティーに参加することもなくなってしまうではないか。

 だが、その予想に反して、風見は機嫌を損ねている様子は見せなかった。むしろ、パーティーに打ち解けていたようで、風見と知り合いの作家を見つけてからは、普段の表情を変えないながらも、楽しそうに話をしていた。

 パーティーも終盤に入った頃だった。風見は少しばかりその輪から席をはずしたとき、再び梶取と出会ったのである。梶取は、どこか急いでいるような様子で、風見を見たときも、突然前に障害物が現れたかのように、足を止めた。

「これはこれは、風見先生」と梶取は言った。「どうです、楽しまれてますか」

「ここの料理はなかなかおいしいですね」と風見は答えた。

 風見と言う人間を知らない梶取は、この返答にいささか困惑したが、すぐに立ち直った。

「ふふ、まあ、悪くはありませんな」

「急がれているようですが、どうかなさいましたか」と風見は尋ねた。

「おお、いや、急な用事が入りましてね。中座しなければならなくなったのですよ」

「当然、これから中座なさるんでしょうね」

「これからじゃなかったら、急な用事になりませんからね」梶取は相手を皮肉するようニヤニヤしながら言った。「では、失礼させていただきますよ」

「わたしは」と風見は梶取を止めるように言った。「今の時分の外出はお勧めできませんね。あなた自身のために、わたしは忠告するのですがね」

「お得意の『風の声』とやらですか。確かに台風が近づいているのは知っているが、問題にはならないでしょう。私の車はやわじゃない。風にやられる心配はありませんよ」

「そうでしょうか」風見は疑問を呈した。

「そうですとも。それにここに自然の風は吹いていない。それなのに、なぜあなたはそんなことがわかるんですか。まったく、はったりもいいところです。まあ、そもそもがはったりなんでしょうから、無理もないでしょうが」

「言葉の解釈は自由です」と風見は表情も変えずに言った。「ゆえに忠告もね」

「哲学的なことを言って、ごまかそうとしても無駄ですよ。ともかく、私は急いでいますので、これで失礼させてもらいますよ。まあ、せいぜいがんばってくださいな、『風の声』を聞くことができるという風見先生」

 そういって、梶取はパーティー会場を後にした。


「どうでしたか、パーティーは?」

 パーティーは梶取が辞してから、約一時間ほどたった後に終了した。閉会の言葉とともに散り行く人々の間の中で、風見は一人、テーブルでグラスを手に持ち、飲み物を飲んでいた。

「たまに参加するのはいいことだね。物事はたまにやるのが一番いいらしい」と風見は答えた。

「それはよかったです。??これからお帰りになりますか? もしそうでしたら、お送りいたしますけど」

「そうしてくれると助かるな。なにぶん、この雨だから、帰るのは一苦労だろうからね。それに、茜君もわたしの家に用があるだろう」

 茜は手に持っている紙袋をチラッと見た。どうやら、風見は、彼の叔母が何かを持ってくるように頼んでいることを推察したらしい。もしかしたら、知っていたのかもしれない。

「目は去ったよ」と風見は突然言った。「これで、安心だろう。もちろん、雨という脅威は残っているがね」

「くるときもおっしゃってましたけど、目っていったいなんなんですか? 台風の目のことなんでしょう」

「目とは、いわば物事の中心点だ。目は中心であり、目でないところは中心ではない。中心とはすなわち物事に関する主要点であり、注目の的である。このことが何を指すか……それは、中心が危険だと言うことだ。中心となれば標的となりやすいからね。裏を返せば、中心でなければ、中心であるときほど危険はないと言うことだ」

「おっしゃる意味はわかりますが、いったいそれがなんだというんですか」

「台風の目と言う場所は無風だが、逆に言うとそれが一番危険だと言うことさ。一般に無風であれば危険性はないだろうと考えているが、それが一番危険であると言うことを知らない。つまり、物事に対して甘く見ていればそれが一番危険なんだ。たとえば、自然はたいした脅威にはならないと考えるが、それは誤りで、本当はすこぶる脅威になるということなのだ」

「つまり、用心していなければ危ないと言うことですか?」

 風見はうなずいた。

「では、ここにくるとき、一回車をとめさせたわけは????」

 あのとき、風見は目をつぶっていた。それは彼女を寄せ付けないためでも、眠っていたのでもなかったのだ。

 「風の声」からの情報をより多く聞くために目をつぶっていたのだ。それにより安全性を求めていたのだ。風は見るものではない。感じ、聞くものなのだから…………。

 それから数日後、批評家の梶取という男が、風にあおられ事故を起こしたことで怪我をしたというニュースが流れても、風見はひと時も驚かなかった。

あとがき

 前回の更新で公開した作品から約3ヶ月ほどが、また、執筆期間としては約4ヶ月ほど、風の声を聞いてシリーズの前作「海風」からは約10ヶ月ほどの期間を要して、やっと新しい作品を書き上げられました。

 最近、あまり筆が進まないで、スランプ的な状態が続いていましたが、私が好きなキャラクターである風見氏を描いていると楽しくかけました。やはり、物事は楽しく書くことが大切なんだとあらためて、実感させられました。

 さて、本作品は、「風の声」を聞くことができる小説家、風見灰が登場する風の声を聞いてシリーズ第三作です。

 今回はタイトルどおり台風をメインにすえました。どうも完結に強引な展開があっていて、物語としてはどうかと思いますが、シリーズ中、しっかりと風見氏の信念というか言いたいことを書けたように思います。長さもそれなりに短編らしくなって、テーマや長さ的にはよいものになったと思います。

 まあ、この作品で私が何を言いたかったのかと言うと、それはあいまいだったりするのですけども、基本に沿ってできたのはよかったと思います。

もくじ