雨の探知

 データに頼った観測は危険である。なぜなら、自然はデータで表せないほどの驚異的な力を持っているからである。


「今年ももう終わりか」と私は言った。

 私と同僚の孝一は、庁の屋上にいた。十二月となれば、寒さが厳しくなるとともにある程度寒さに慣れてくる時期であるが、やはり寒さには勝てず、さんさんと輝いている太陽ばかりがせめてもの報いだった。もともと屋上などにいなければいいのだが、私と孝一はいつも屋上で話すことが多かった。なぜか、と問われれば今考えるとなぜなのだろう、と思ってしまう。それほど長い間、屋上で話すことが習慣づいていたのである。

「それをいうのは少し早すぎるよ」と孝一は微笑しながらいった。「まだ、十日だぜ? それをいうには、クリスマスを過ぎてからだよ」

「クリスマス、か。孝一は今年もサービスか?」

「そのつもりさ」と既婚者である孝一は言った。「まあ、普段はたいしたことしてないから、こういうときぐらいな。お前はどうするんだ?」

「私は例年通りだよ」私はため息をついた。「今年も特にこれといったことはなかったからな。ま、今年のクリスマスの予報は雨だという話だし、外に出る気にはなれないだろうから、いいが」

「そんなこといってたら、一生一人になっちまうぜ、琢志。でもまあ、雨の中はいやなのは確かだが、小雨程度だっていうんだから、それぐらいは我慢しろよ」

「雨だからクリスマスを楽しまないっていうわけじゃないんだ」

「それぐらいわかってるよ。もしできたら、小雨ぐらいでどこにもいかないなんていうな、っていう話さ」

「ま、それが実際小雨なら問題はないが。特に今年の小雨という予報はどうも不審な気がする」

 その根拠は、この年の雨の運勢によるものである。この年の六月、東京を中心とする関東全域で小雨程度の雨が降るという予報だったのが、大豪雨となり、床上浸水等の被害が多数発生し、一部交通機関が麻痺する雨が降った。また、九月に起こった集中豪雨では、東京と神奈川において、六月の降水量の二倍、床上浸水の被害は三倍にも達し、死者も出た脅威の豪雨が降ったのである。

 このことから、クリスマスに予報されている小雨という予報がやけに引っかかるのである。これまでにも引っかかりを感じた小雨という予報の雨もあったが、それはいずれも的中しなかったのは認めよう。しかし、六月と九月しいては十二月と三ヶ月周期でやってきそうなことが、私の不審感をさらに募らせているのである。

「大丈夫さ」と私の不審をよそに孝一は自信満々にいった。「お前も知っているだろう、例の新システムのことを? あれが、あれば大丈夫さ」

 今年の六月と九月の豪雨に対応して、豪雨観測システム「レインサーチャー」が開発されたのは、私も知っていた。レインサーチャーは、アメダスの観測データを基に豪雨となりそうな箇所を探し出すシステムで、いわば豪雨観測のスペシャリストというシステムなのである。とはいえ、私はこれといって詳細までは詳しくはないのだが。ともかく、孝一はこれがあれば、豪雨のときは大丈夫だろうというのである。

「レインサーチャーはまだ一度も豪雨を観測していない」と私は言った。「まだ豪雨が発生していないからだけど、もし豪雨が来たとして正常に使えるかどうかはわからないだろう? それに、直前になってからではたいして役に立つとも思えない」

「そんなことはありませんよ」

 と、不意に声が聞こえた。私と孝一とは自然な動作で、声のほうに振り返った。そこには中背ではあるものの、髪が長く顔立ちの整った美しい女性がいた。それなりに私は庁の人間を知っているつもりだが、この女性を庁内で一度も見たことがなかった。

「レインサーチャーは確かにまだ豪雨を観測していません」とその女性は続けた。「しかし、もし豪雨が起こりうる場合には絶対に観測すると断言できますよ」

「あなたは?」と私は尋ねた。「庁内で一度もお見かけしたこともない方のようですが」

「失礼いたしました。私はこういうものです」

 彼女は名刺を差し出してきた。名刺には気象研究所・折笠京(おりかさみやこ)と記されていた。

「気象研究所……」と私は思わずつぶやいてしまった。

「そうです」と彼女は言った。「そして、私は気象研究所を代表してプロジェクトRにかかわっていました」

「ということは、あなたはレインサーチャーを開発した一人なんですね?」

 プロジェクトRとは、レインサーチャーを開発するためのプロジェクトチームであった。確か、各方面から優秀な人物を集め、気象研究所からも何名か選出されたと聞く。彼女もその一人ということは、相当優秀な人なのだろう、と私は感心してしまった。

「そうです。ですから、こう断言できるのです。豪雨を観測できないことはない、と」

「その確信はどこからくるのでしょうか?」と私は尋ねた。孝一が驚いたように身動きをしたようだったが、私は気にしなかった。

「レインサーチャーは、豪雨のデータを詳細に分析し、豪雨が起きるときに起こる事象を発見しました。その事象を観測させることによって、豪雨が起こるか起こらないかを判断できます。豪雨が起こるときに起こる事象を観測できれば、豪雨は必ず観測できるはずでしょう? そういうことですよ」

「たった二度のデータだけで、そんなことはできないと思いますが」

 私がそういうと彼女は首を振った。

「二度の豪雨だけではありません。過去の豪雨からもデータを得、同様にデータを分析しました。その信頼性は確かなものなのですよ。また、レインサーチャーは豪雨観測だけでなく、土砂災害や避難する時間の計算もすることができます。ですから、六月の豪雨後結成されたプロジェクトRが開発したレインサーチャーは、実用化されたのです。その信頼性と有益性がなければ、短期間での実用化されることはまずなかったでしょう」

 それはそのとおりであった。地震速報などは前々から知られていたが実用化されたのは最近のことである。それだけ信頼性というものは必要不可欠なものであり、多くの時間を費やさないといけない。その時間を多く費やさずレインサーチャーは実用化されたのである。

「しかし、それだけが完全に観測できるという絶対的な証拠にはなりません」と私は指摘した。「むしろ、私たちに誤報を知らせ危険な状態にさせると、私は思いますよ」

「おい、琢志!」とここで孝一が叫ぶようにしていった。「少し言葉が過ぎるぞ。少しは慎め。この人は気象研究所の??」

「かまいませんよ」と彼女はやんわりといった。別に機嫌が悪いわけではないらしい。「どうやら、あなたは古風な考えの方のようですね」??と私に向かっていった??「つまり、機械など信用できないといったタイプ」

「そんなことはありませんよ」と私。「確かに機械操作全般は苦手です。ですが、これでもまだ三十ですよ。機械に頼っているからダメだ、といった頑固なご老人方の考えとは違います。私はこう思ってるんですよ。機械の力は自然の力相手に意味を成さない、とね」

「事象には必ず原因があります。その原因を突き止めれば、どんなことにも対応できます。それはたとえ、自然相手でもね」

「そうでしょうか? 私は??」

「どうやら」と彼女は私の言葉をさえぎった。「私の考えとあなたの考えは、延々に分かり合えそうにありませんね。すべての事において、意見が対象の関係を維持している」

「そのようですね。私はなんと言われようと、データで自然のすべてを把握することはできないという考えは変えません」

「あなた、名前は?」

月島琢志(つきしまたくじ)です。窓際所属、とでもいえば所属はわかることでしょう」

「覚えておきます。まあ、もう会うことはないでしょうが」

「私は逆にまた会いそうな気がしますよ」

 私は言った。彼女はその場を去っていった。


 孝一に言わせれば、私の趣味は散歩であるという。私はもともと自然観察が好きでその関係上、外に出なければいけなく、そのことから散歩も趣味である、というのが彼の見解らしい。もっとも、私自身はあまり自覚していないのだが。

 大雨が降るという変な年であったこの年は、気候もおかしかった。春に桜が咲かず、この年は桜が観測されない年だったのである。少なくとも私だけは、とある場所で発見した一枚の桜の花びらをみることはできたが、今年はそれだけだった。

 その花びらを見ることができたのは、例年あまり知られてはいなく静かな場所であるが、とてもきれいに桜を見ることができる、高台にある寺だった。二百段もある階段を上った先にあるその寺にこの日もまた訪れていた。

 そこには一人の先客がいた。その先客の後姿には見覚えがあった。六月の予想外豪雨の前に、またそれから何回かこの場所であったことがあるからだ。おそらく、今の彼女は双眼鏡を目にあてていることだろう。

「こんにちは、南場さん」と私はその女性に声をかけた。

 振り返ったのはやはり南場ななだった。彼女はバードウォッチャーで、私が彼女と初めて会ったときもバードウォッチングをしている最中で、この場所で出会った。この寺があるのは一応都会であるから、当初双眼鏡を使って何かを見ている彼女を見たときは、怪しい人物だと思った。それで私は彼女に話しかけたのであるが、そのときも彼女はバードウォッチングをしていたのであって、今思っても恥ずかしいことである。

 とはいえ、それ以来、私はしばしばこの場所で彼女と会うことがあるようになり、そのたびに話を交わすことがあった。彼女がバードウォッチングをしていて、自然に興味があるという共通点があるからか、話題が弾むのである。

「月島さん」と彼女は言った。「お久しぶりです」

「バードウォッチングですか?」と私は尋ねた。

「はい。見える鳥に変化はありませんが、何かしていないと落ち着かないものですから。私のよく行くバードウォッチングポイントもいろいろあって、あまりできない状態ですので、ここでしているんです。月島さんは自然観察をされているんですか?」

「ええ、私の趣味ですから、やることがなければだいたいしてますよ。今日もまたしかりです。あ、そうだ。ちょっと、南場さんにお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」

「なんでしょうか?」

 私と彼女の考えが似ていることはこれまでのことで知っていた。だから、私は彼女にレインサーチャーについて尋ねたかったのだ。気象研究所所属の折笠京との対比から、私は私の考えに同意してくれる人を求めたからなのかもしれない。それは、彼女の考え方をどうしても否定したいという私の強い願いでもあったのかもしれないが。

 彼女はレインサーチャーについて知っていた。その概要についても、公にされている範囲内ですべてを知っていた。だから、私は私の考えの概略を彼女に話し、彼女にどう思うか、と意見を求めた。

「私は??完璧ではないと思います」と彼女はそう答えた。

「完璧には、ですか?」私はその言い回しが気になり尋ねた。

「はい。私も月島さんのように、自然をデータで把握し、完璧に解明することはできないと思います。ですが、それはすべてではありません。天気予報などはアメダスなどのデータを基にして公表されています。それはあたることもあればあたらないこともある。つまり、データによって自然を予測できることもあれば予測できないこともあるわけです。ですから、私は完璧にはできないと思いますが、ある程度のことならできると思います」

 彼女のその解を聞き、私はいささかの同様を隠し切れなかった。私は彼女の同意を求めたのである。彼女の私と折笠研究員の中間という考えは、いささか意外だったのである。しかし、その中で私は彼女から得るものがあった。私は現行気象予報を否定する気はまるでないし、そういわれた現在も否定する気はない。これこそ、私の言っていたことの盲点ではないか?

「確かに……そうですね」と私は同意を示した。

「しかし、本当の私の考えは」と彼女は言った。「今のレインサーチャーに豪雨を観測する力はないと思います。十分なテストも行わず、一般の気象とは別の突発的な気象を観測できるはずがないですからね」

「データだけで観測するのにも、無理がありますよね」

「はい。もし、豪雨が来たとき今のレインサーチャーは絶対に機能しないと思います」

「今度のクリスマスの小雨という予報についてどう思われます?」

「三ヶ月周期できている豪雨ですから、少し怪しいですね」

「やはりそうですか、いや、私もそう思っていたんですよ。同じく三ヶ月周期というのと、もう一つ、小雨という予報が気になりましてね。これまでもそういう例でしたからね」

「まったくです。もっとも、まだ鳥たちの様子に変化はないようですから、どうなるかはわかりませんけれども。あら、もうこんな時間ですね」??と彼女は時計を見た。??「そろそろ失礼させていただかないと。これから、用事があるものですから」

「いや、長くお引止めして申し訳ありません。おかげさまで、私の盲点を指摘する有益な言葉を拝聴させてもらい、大変参考になりました。今日は本当にありがとうございます」

「いえ、お役に立てたなら私も満足です。それでは失礼します。また、今度お会いしましょう」

 そういって、彼女は二百段もある階段のほうへ去っていった。


 レインサーチャーの観測したデータが転送される庁内の部屋に、私はいた。特にクリスマスにやることのない私は暇であったから、この何かある雰囲気があるクリスマスを見届けようと、この部屋にいたのである。つまり、豪雨が起こりレインサーチャーがそれを観測するかどうかを見届けようというのである。

 時刻は十八時を過ぎ、夜も近づいてきたころ、誰かが私に話しかけてきた。私は振り向くとそこには、気象研究所の折笠京の姿があった。先ほどまでいなかったから、たった今入ってきたのだろう。

「こんなところで何をしているの?」と彼女は語気と強めていった。「ここにあなたが入ることは、許されていないはずよ」

「レインサーチャーの観測がどんなものか知りたかったんですよ」と私は答えた。「ここらであなたとの考えの違いに決着をつけようじゃありませんか。これぐらいのクリスマスプレゼントはあっていいと思いますが」

「いったいあなたは何をいっているの? 今日、レインサーチャーが作動するっていうわけ?」

「それはわかりませんよ。ただ、私は感じているんですよ……今日、何かが起こると」

「その何かが豪雨だったとしたら、それは間違いよ。見たところ、レインサーチャーは作動していないんだからね」

「まあ、しばらく私はここにいさせてもらいますよ。私の予感があたるかあたらないかは、はっきりするでしょう。どうせ、外にいっても、私はやることがありませんしね。折笠さんはどうしてこちらへ? 今日はクリスマスですよ」

「レインサーチャーの様子を見にきただけです。まだ、実用化されて間もないですから、ちょこちょこ点検にきているんですよ。もっとも、点検といっても、システム的な点検ではありませんが。ともかく、暇なんだか知りませんが、ここの部屋から出て行ってください。あなたの予感なんて知ったこっちゃありません」

 その口調が今にも爆発しそうなのを私は感じ取った。どうやら、自分の領域を汚されたとして、怒りに震えているらしい。私はこの先がどうなるかわからなかったので、彼女の指示通り退散せざるを得なかった。これ以上、彼女と問題を起こしては、どうなるか知れたものではないというのもあった。何せ窓際の私は、プロジェクトRにかかわった優秀な人間によればすぐに排除されかねない場合もあるのだ。

 私は部屋から退散した。私はふっと窓を見た。雨が降っていた。予報どおり小雨は降り出したのだ、と私は思った。

 しかし、違った。その小雨は小雨でなく、雨粒を大きくしてさらに雨脚を強めていっているのである。

 私の予感はあたったのだ! これこそ、この年最大の豪雨の最後なのだ…………。

 私ははっとして、たった今出てきたばかりの部屋に戻った。そのあわてぶりに部屋中の人々が私のほうをみたが、私は気にもせず、レインサーチャーの状態を確認した。レインサーチャーは豪雨を観測していなかった。

「いったい、なんなんですか、あなたは!」と怒った声が聞こえた。折笠研究員の声なんだ。「たった今出て行ったと思ったら、突然はいりこんできて??」

「外を見てください」と私は言った。「雨が降っていますよ。それも小雨じゃなく、雨脚の強い、どしゃぶりと形容できる雨がね」

「どしゃぶりの雨というだけで、豪雨とはいえませんよ。天気予報が外れただけじゃないですか」

「どうかな」と私はつぶやいた。

 彼女にはそれが聞こえなかったらしい。私は惨めに部屋から退散せざるを得なかった。

 しかし、それは惨めな退散ではなくなった。それから半時間たった後、降水量が豪雨と推定される量となり、今年最後の豪雨は襲来したのである。「クリスマスの大豪雨」と呼ばれるこの雨に、レインサーチャーは雨脚が強くなってから半時間後にやっと観測したという。

あとがき

 異常気象シリーズ第四作目です。今作から、討論を交える形にするために、折笠京なる琢志と対照的な考え方の持ち主を登場させるにいたりました。ななさんも出ますし、まったく、このシリーズにはレギュラーキャラクターが多いですね(笑)

 さて、本作ですが、タイトルどおり雨をテーマにした作品でした。執筆前では大雨がテーマで、大雨というより豪雨がテーマになりましたが、本質は一緒。南場なな登場作「鳥は予知する」と「空は示す」でおきた豪雨というのがあったのが、豪雨になったきっかけです。

 まあ、ストーリー的には面白みのない話でありますが、テーマ自体はしっかりしていて、それなりかなぁとか。まあ、それなりでもかなり低いので、どうしようもない作品ではあるのですが、温かい目で見ていただければ幸いです。

 なお、本作はすべてフィクションであり、本文中に出てくる「レインサーチャー」もフィクションです。現実には存在しません。

もくじ