五本の尻尾

 熱狂の渦に包まれていた会場は、一瞬にして静寂に包まれた。その一瞬の静寂は彼女にとって何ヶ月という莫大な時間のように感じられた。

 バトルフィールドに横たわる自分のポケモン。それが示すものは――。

「まさかの……まさかの優勝候補のコウ選手、予選敗退です! まさかの大番狂わせ!」

 興奮した解説者の声が会場を覆った、と同時に再び会場は熱狂の渦に包まれた。

 その舞台の中央にいる彼女は、それすらも感じ取れなかった。


「二次審査に進出したコーディネーターの皆さんはこちらの方々です!」

 司会をしているリリアンの声が会場に響いた。と、同時に会場に設置されている巨大モニターに一人ずつ、二次審査に進出したコーディネーターのエントリー写真が映し出されていく。一次審査で演技を演じきったコーディネーターたちは、控え室にある、会場の巨大モニターと連動している小さなモニターで、映し出される写真をじっと見つめている。

 映し出されたコーディネーターたちは、会場の観客たちに次々と一次審査の演技を思いだされていく。

 だが、その裏で思いだされない、敗退したコーディネーターたちもたくさん存在した。彼らは、思いだされたとしても、上位八名の演技の比較対象にされるだけで、何のスポットライトも浴びることができず、その控え室から退散するしかなかった。

 その比較対象の敗退したコーディネーターの中に彼女――コウはいた。

 彼女はモニターの結果を見て、しばらく動くことができなかった。この大会は折りしも、コウにとって記念すべき第五十回目の大会だった。彼女はこの大会で有終の美を飾るために――この大会で優勝することだけを目標に必死に練習を続けてきた。そして、今大会の彼女の演技は今まで参加してきた演技の中で最高のものだと自負していた。

 それで負けた。目標はあっけなく崩れさった。


 気がつけば、彼女の目の前は真っ暗な世界だった。何も見えず、何も聞こえない闇の世界。周りを手探りするが、まるで何にも触れず、大声を出そうとしてもそれは声にならない。

 助けを求めても、声は出ないし、何も見えない。周りを探っても何にも触れない。

 彼女はどうすることもできなかった。ただ、そこに崩れ、途方にくれるだけだった。――誰も彼女を助けてはくれなかった。


 はっと目を開き、彼女は眠りから覚めた。

 あたりは暗いものの、窓から差し込む月光がその部屋を照らし出し、風が吹き、木々がざわめく音も聞こえる。

 夢か――と彼女は気づき、体を起こした。彼女はほっとすると、息が切れているのに気づき、額や体中にべっとりとした感触がするのを感じた。――これは現実なのだ。彼女は不快になるものの、なおほっと安堵した。

 と、キュウン、と隣から高い鳴き声が聞こえてきた。彼女はそちらをそっと振り返った。全身を赤いふさふさした毛で覆われ、とがっているがやわらかいその二本の耳、狐に似た姿を持つポケモン――ロコンが、心配そうに頭をかしげながらこちらを見て、お座りをしていた。

「キュウ……」と、ロコンを見てコウはつぶやいた。

 キュウと呼ばれたロコンは心配そうな声で再び鳴く。コウは笑顔を作った。

「大丈夫だよ、キュウ。私なら大丈夫。心配はいらないよ」

 それでも、キュウは再び心配そうな声で鳴き、そっと彼女の頬をなでるようになめた。キュウの顔はまだ心配そうな顔をしていて、彼女の負った見えない傷を癒そうとしているようだった。

 コウはそんなキュウを安心させてあげようとして、キュウを抱きしめようとした。だが、そのとき、ふとコウの視界にキュウの尻尾が映った。六本の美しい尻尾があることで有名なロコン。だが、キュウの尻尾は五本しかない。

 コウはキュウを抱きしめようとする手が、その場で止まった。抱きしめてあげられない……コウではなく理性が必然的に手を静止させた。

 五本の尻尾。コウの思いだしたくない記憶のカケラ。

 キュウは必死にコウを癒そうとしている。だが、コウはキュウを癒すことができなかった。美しさでも、この五本の尻尾も。

 コウはキュウを抱きしめてあげられなかった。――ありがとう、コウはそう云ったものの、その意味はごめんねだった。それはキュウをただ安心させるだけの言葉だった。


 一夜明けた翌日も彼女はまだその町にいた。次にポケモンコンテストが開催される町がどこなのか知らなかったし、なにより、今後どういう行動をとるかを決定しなければならなかった。

 有終の美を飾ることなく敗退した彼女の五十回目のポケモンコンテスト。有終の美を飾れば引退するが、飾らなくても引退するでは目標にならない。だから、有終の美を飾らなかったとき、コーディネーターを続けるという選択肢しか残らないものの、彼女にその意思はもう残されていなかった。

 彼女はあの夢のように、闇の中で四方八方どこへでも行ける状況に陥り、どこに行けばいいのかわからなくなっていたのだ。

 なんにせよ、まずはこの町にまだいることが必要だ。ポケモンセンターの部屋は今日チェックアウトすることになっていたから、宿泊の延長を申し込むため、カウンターのあるロビーまで出向き、手続きを済ませ、部屋へと折り返した。

 その際、ロビーから歓声が聞こえてきた。何かと思い覗いてみると、テレビ中継で、ポケモンリーグ四天王の試合を放送しているらしく、その高度なバトルに熱狂しているらしい。四天王といえば、ポケモンバトルのトップトレーナーともいえる存在たちであるから、ポケモントレーナー足りえるもの憧れの存在だ。

 昔はコウも例外ではなかった。しかし、彼女はその放送を見ていて興味を示さなかったかのように目をそらし、部屋へと戻ろうとする。

 そのとき、コウはロビーに知った顔があるのを発見した。テレビ放送を遠くから見ているその青年は、横顔を見せるだけだが、コウはそれが自分の知っている人物だと判断できた。

 ――どうしてこんなところに…………。

 コウはそう心の中で彼の存在を厭うとともに、狼狽した。コウはすぐさまその場を離れようとしたものの、体は動かなかった。彼の横顔をじっと見ているだけだった。

 と、その青年はコウのほうを向いた。それと同時に青年に驚きの表情が現れる。そのときになってやっとその場から立ち去らなければいけない、という指令が体に伝わった。コウは身を翻し、部屋へと歩き出す。

「ちょっと、待って!」後ろから青年の声がコウを呼び止める。だが、コウはそれを無視して、歩みを止めない。

 青年は声をかけることをやめず、コウを追いかけ、彼女の進路を阻むようにして、彼女の前に立った。

「コウ……だろ?」と青年は言った。その口調は断定的だった。

 コウはその青年の問いかけに対して何も口を開くことなく、青年からよく顔が見えなくなるかのように、斜め下にうつむいているだけだった。

 そのコウに青年は続けて言う。

「なあ、コウ、返事をしてくれよ。まさかおれを忘れたのか? ファオだよ、お前の幼馴染のさ」

「……人違いじゃ、ありませんか?」とコウはやっとの思いで言った。「私はあなたを知りませんし、ましてやファオなんていう人は知りません」

 コウはそう言って、ファオと名乗る青年の横を通り過ぎる。だが、ファオはすばやく振り向き、立ち去ろうとするコウの肩をつかんだ。

「どうして逃げるんだよ、コウ?」とファオは言った。「お前はコウだろ? おれの知っているコウに間違いはないはずだ。そして、おれはお前が知っているファオにも間違いはない。久しぶりの再会だっていうのに、なんで逃げようとするんだ?」

「離してください!」とコウは叫ぶようにしてファオを振り払い、走り出す。

「おい、待てよ!」

「あなたなんて知らないっていってるでしょ! もう、顔も見たくもないから、どっか行って!」

 コウは一時静止すると、振り返りもせず、そう叫んだ。ロビーから少し離れた場所ではあったものの、何事かとロビーから部屋通りを覗く者が数名現れた。ファオはその言葉によって仁王立ちとなり、コウが自室へと引き取るのをただ見るだけだった。

 しばらくして我を取り戻したファオは、背後の野次馬たちを見返りもせず、コウが入った部屋の前へと立ち、部屋をノックしてコウを呼びかける。その声は次第に叫びに似たほどの大声となり、見ようによっては借金取りを連想させもした。それを見かねた野次馬たちの数名は、ファオにやめろと注意をしたが、ファオは聞く耳を持たない。野次馬数名は、そんな彼をその場から強引に引き剥がそうと取り押さえた。

 ファオはそれを必死に振り払おうとするものの、一人で数名に立ち向かうのは無理だった。コウの部屋から引き剥がされながらも、わめくファオは最後に何かのひらめきを受けたかのように最後にこう叫んだ。

「おれは、バトルハウスにいる。そこまで待ってるから」

 そういうと、ファオはおとなしくなり、野次馬たちを振り払うと、ポケモンセンターを出て行った。


「バトルハウスなんて……行くわけないじゃない」

 部屋へ閉じこもったコウは、ドアを背にして丸まって座り込んでいた。コウは何を見るわけでもなく、視線を床に落とす。目は虚ろで、突然、目の前が何も見えなくなった瞬間に陥ったものの、冷静さを保っている不可思議な状態だった。

 ファオ。もう何年と会っていないコウと幼馴染であるトレーナー。そして、かつてのライバルだった。同じときに旅に出て、その旅先で再会し、くじけているときにはお互いにアドバイスをしたり…………そんなことが昔はあった。

「よりによって」とコウはつぶやく。「こんなときに……現れる必要ないじゃない」

 と、キュウンという鳴き声がコウの耳に届く。顔を上げるとコウの視界の中にキュウが映る。キュウはコウに寄り添い、その顔を心配そうな表情でそっとなぐさめるようになめる。元気を出して――という、キュウの声が聞こえたようだった。

 キュウはいつも私をなぐさめてくれる――とコウは思った。――だけど、私はキュウに何をしてあげられてるのだろう? 私は……私は何もしてあげられてない。

「ありがとう」コウはそれしか言えなかった。「大丈夫だから。心配しないで」

 キュウはコウから離れようとはしなかった。まるでコウの言葉の意味を悟っているかのように。

 キュウ……そういえば、昔はこの子はもっともっと小さかった。キュウは彼女が旅立つときからいるパートナー。この子をもらったとき、一緒にファオもポケモンをもらったのを、コウは思いだした。あれからもう何年たったのだろう? 先ほど会ったファオはもうそのころのファオとは違った。身長も伸びていたし、髪形も変わっていた。容姿が変わり、声までも変わっていたのがコウにはわかったが、よくそれだけ変わったファオのことがわかったものだ、と彼女はふっと笑みをこぼす。

 会いたくない……そうは思っていたけど、本当は会いたいのかもしれない。

 一度、旅先でどうしようもなくへこんでいたとき、ファオがいれば――ファオと会えれば、と思ったことがあった。そのとき、胸に秘められている想いと似ている気がした。

 そのときどうしてファオに会いたかったんだっけ――とコウは考える。――そうだ、私はあのとき惨敗したんだ。惨敗、そう感じたのは一番の悲劇のときではなく、このときだった。夢の舞台に進むための、大切なときに。圧倒的な力の差を見せ付けられ、私はへこんでいたんだ。

 そのとき元気を出してくれたのはファオだった。

 ――そして、今元気付けてくれていたのは、キュウだった。

 キュウ、私のかけがえのないパートナー。ファオ、私のかけがえのない存在。

 あの一番の悲劇のとき、もっとキュウをかまってあげていたら…………私は救われたのかもしれない。

 ポケモンリーグの頂点――ポケモンマスターになるという夢に再挑戦することができたのかもしれない。今のファオのように。


 バトルハウスは、町の一角に何の変哲もないただのビルを装って建っていた。横幅が五十メートルほどはあるだろうか。高さも地上八階ほどの高さがあり、とても広いビルだ。そのビルの入り口には大理石か、もしくは大理石に少しばかり劣るだろう高級な石を使って「バトルハウス」という標石がある。

 コウはそれを見て、バトルビルの間違いなんじゃないだろうか、と思った。だが、すぐ考えを思い直して、かつては家のように小さかったのだろうと考えた。コウはそれを思い、微笑むと、ゆっくりとビルの入り口へと向かう。

 だが、その途中でその足の動きが止まる。急に彼女は不安になった。ファオと会う――そのことを決心してここまで来たのに、ここで躊躇してしまう。ファオに今の自分を見せていいのだろうか。昔とはまるで変わった……落ちぶれた私を。

 見せていいのだろうか、が、だんだんと見せてはいけないという感情に変わっていく。会えない……でも、会いたい。相反する行動が交差し、板ばさみになったコウの体を動かなかった。それは、コンテストで敗退した日に見たあの夢のときのようだった。

 ただ、足元にはキュウがいた。だが、キュウはコウを見守るだけで鳴き声を出すわけでもなく、引っ張るわけでもなく、主人の行動を待つ忠実なパートナーを演じるだけだ。

「コウ?」

 そんな闇に光が差し込んだ。彼女の聴覚に受け取るものが入ると同時に、残りの四感がいっせいに動き出す。そして、はっと我に返った彼女の目の前には、ファオがいた。

 ――ファオ。

「来てくれたのか」ファオはそう言ったが、その言葉に感情はこもっていない。

 コウはただうなずくだけだった。彼女はその瞬間、今すぐにこの場から逃げ出したい、という感情に駆られたが、体がその指令を受け付けなかった。彼女は完全に元通りになったわけでなく、片面はまだふさがれていたのだ。

「話したいことがあるんだ」とファオは続ける。「近くに川がある。その近くで話そう」

 朝のファオとは打って変わって、感情的なところがまるでなかった。ただ、冷静にそう言っただけ。

 コウは静かにうなずいた。


 町の郊外にある川としては、水は透き通りとてもきれいだった。何でもこの町の観光名所であるという。ゆっくりと流れるその川のせせらぎと川を泳ぐポケモンたち。その光景は、砂漠の単調な光景に彩りを加えたオアシスのような存在であった。

 二人は川辺に座り込むと、しばらくは沈黙が続いた。コウは何をしゃべろうか、ということは考えていなかったし、何をしゃべればいいかもわからなかった。ただ、コウはファオに会いたかっただけだった。いや……本当にそうだろうか?

 コウの隣に座るキュウが、沈黙をやぶるようにして、低い鳴き声をあげた。コウとファオはキュウに視線を向ける。

「キュウ、元気そうだな」とファオは言った。

「ええ」とコウ。

「朝は、ごめん」とファオは続けた。「あれはおれが悪かった。あんな場所で怒鳴りつけるようにするなんて――その……ごめん」

 コウはその言葉に返答はしなかった。ただ、キュウから視線をファオに移すだけだった。

「あの時以来……だな」とファオは話しにくそうに話を続ける。「コウが急に姿を消したあのポケモンリーグ以来」

「その話をしにきたの?」コウは尋ねるでもなさそうな口調で言う。「私がもてはやされて、予選で見せた惨めな思い出をよみがえらせるために」

「そんなつもりはない! ただ……あれ以来、おれとコウは会うことがなくなった。どうしてだ? いまこうして同じ町にいる、同じ地方にいる。それなのに、冒険をしているときほどどうして再会しなくなったのか、おれは不思議だったんだ。コウ、おれはずっとコウのことを――」

「哀れみはよして。私は所詮、負け犬なのよ。テレビの取材やインタビューで思い上がり、練習を怠った。だから、負けた。それだけのことよ。すべては私が悪いの。ファオに哀れまれる筋合いはない。――すべては私の責任なのだから」

「……今もバトルはしてるんだろう? なぜ、最近の大会には出場しない?」

 コウは黙った。言えない。今、コウが何をしているかなんて、言うことはできなかった。ファオはまだコウがバトルをしていると思っている。まだ、ポケモンマスターを目指していると信じている――輝かしいコウを信じているのだ。

 だが、現状は違う。今のコウは輝く金ではなくくすんだ鉛だった。到底輝くことはできない、ただのお荷物。そんなコウ自身のことを、コウは自らの口で語ることははばかられた。

「まさか、バトルをやめたというわけじゃないだろう?」

 押し黙っているコウを見かねてか、ファオは続けて言った。コウはやはり黙ったままだった。的を射てた。もう何も言うことはできなかった。その沈黙で、ファオが事実を悟るのを待つしかなかった。その事実をファオは確かに悟った。

「なあ、どうして黙ってるんだ? まさか、本当にバトルをやめたっていうのか? あれだけの実力を持ちながら、そして、その実力を存分に発揮できるポケモンマスターになる夢を捨てたって言うのか?」

「…………私はポケモントレーナーじゃない」コウにはそう言うのが精一杯だった。

 ファオはコウを凝視するように見つめた。彼女の言葉が信じられなかった。

「うそ、だろ……?」

 コウは首を横に振る。

「そんな馬鹿な! あれだけのバトルセンスを持っているのに、ポケモンマスターの夢をあきらめたって言うのか。まさか、忘れたんじゃないだろう? あのポケモンリーグでコウがなんて呼ばれていたか――――」

 コウの脳裏に当時の事が思い出される――――。

 コウは凄腕トレーナーとして、大会が始まる前から注目の選手だった。ある報道では優勝候補とも称され、「要塞の司令塔」と呼ばれるようになった。沈思黙考、冷静な判断、冷徹――さまざまな表現が使われたが、つまり、彼女の判断は冷静だった。どんな状況にもひるまず、的確な指示を出す。その冷静さを保つことと的確な指示、それが彼女の持ち味だった。

 だが、それは表の顔に過ぎない。バトルが終われば、コウだってただの十六歳の少女だった。笑ったりもするし、ないたりもするし、恋だってする――。その本来のコウをこの大会中、一度たりとも見せることはなかった。報道によるプレッシャーがかかり、彼女は本来の自分を取り戻すことができなかったのだ。そのプレッシャーをファオに話す余裕すらなくなり、ただ、一人で抱え込んでしまった。

 そのプレッシャーからか、コウは疲れ果て、まともに眠ることもできず、判断を誤り予選で敗退した。そのことを報道はでかでかと報道した。コウに敗因はいったい何なのか? 練習不足ではないのか? 今までの実績はでっちあげだったのではないか?

 その報道は彼女を天国に上がらせたことはなかった。

 地獄に突き落としただけだったのだ――。

「やめて!」とコウは突然発狂したように叫び、耳をふさいだ。「もう、その話をしないで…………」

「コウ……」とファオはつぶやいた。「確かにあの大会の後、報道からの圧力はすごかった。コウが予選で敗退した理由を実績がでっちあげだったなどとたくさんのことを報道していた。だけど、それだけでいったいどうして、バトルをやめる必要があった? おれはそれが知りたいんだ……」

「もうやめて……」コウは訴えるように言う。「もう…………」

 キュウウ――と、低い鳴き声が聞こえた。その鳴き声は耳をふさいでいるコウにも届き、コウはゆっくりとキュウを見た。

 キュウは心配そうにコウを見ていた。しかし、それはいつもの心配そうな表情ではなく、もはやキュウ自身が泣き出したくなるような、そんな表情だった。

「キュウ……」とコウ。「もしかしてキュウは…………」

 キュウは知っていたのだ。コウの暗い闇の中を。

 コウがどれだけ苦しみ、コウがどれだけ悩み、コウがどうしてキュウに対してあのような行動をとったのか、コウの一番の悲劇のあのときの心境をすべて。だからこそ、キュウは苦しんでいるコウをいつも励ましていたのだ。今回のコンテストで負けたときのように。もう、コウの苦しむ姿を見たくなかったのだ。

 コウはキュウを抱きしめた。もう迷いもなく、ただ、ひたすらキュウを抱きしめた。キュウはコウ自身を受け止めていた。コウが気にすることはもうなかったのだ。キュウは、いつでもコウの味方だった。

 コウの目には涙がこぼれていた。


「すべては、あのポケモンリーグだった」とコウは言った。

 コウは何かを吹っ切ったように、ファオに対して、これまでの経緯を話す決心をした。キュウを抱きかかえながら、うつむきながら話す。その目には涙のぬれた跡が残っている。

「ファオが言うように、私はバトルセンスを持っている、ということで報道陣に取り上げられた。私はそのプレッシャーに耐えることができなかった。そのことをファオに相談することすらもできないほどのプレッシャーを抱えていた私は、当然、バトルでも判断を誤った。そして、私はポケモンリーグから姿を消した。

 その後、私はいったいどうなったと思う? たまたま判断を誤ってしまったという慰めもあったけど、報道は私の敗因に関して、練習不足だの何だのと推測に基づいた記事を書き連ね、私のところには嫌がらせの手紙とかが届くようになった。それも当然よね、あれだけ優勝候補ともてはやされ、予選敗退だなんて笑い事じゃ済まされないもの。手紙の内容は多くそのようなことばっかりだった。

 どうして、私がそんな目にあわなければいけなかったのか……私はそれに悩んだりもした。私を取り上げたのは報道――つまり、世間だった。世間が勝手に騒いだのに、私が負けたら、世間は勝手に私を批判する。どうしてそんなことがあるのか、理不尽じゃないか思ったりもした。日に日に増える嫌がらせ……私はもう耐えられなかった。

 それが私にバトルをやめろといっているものだとしか、感じることができなかった」

「確かにあれはひどかった」とファオは言った。「だけど、励ましもあったはずだ。どうして、バトルをやめなければ……」

「励ましなんて、日に日になくなったわよ。敗退の前後で励ましと嫌がらせは、互いに反比例するようだった。もう、私がポケモンリーグ会場からいなくなる直前には励ましなんて言葉すら出てこなかった」

「おれの励ましじゃ、ダメだったのか…………」ファオは独り言のようにつぶやいた。

「ファオの励ましは、逆効果だった……ファオはあの大会でベスト四まで行ったんだものね。その躍進と私の衰退。その相反することが私には耐えられなかった。私はもうファオのそばにいてはいけないと思った。――――だから、ファオの前に現れることはやめたの。それに……私は惨めだった。

 バトルをやめた私は途方にくれるしかなかった。町に帰ろう、そう考えるしかなかった。けど、町に帰ったらなんていわれるだろう? そんな心配もあった。結局、私は町に帰ることをやめた。他人の目が怖かった…………なんて言われるか怖かった……。

 だけど、どこに行くにもお金があるわけでもなし、どうすることもなかった。ポケモンセンターに泊まれる日数には限りがあるし、私は転々と町を渡ることになった。その間に、私はポケモンたちのことを逃がすことにした。バトルもしないし、ポケモンたちの面倒を見る気力すらなかった。みんな名残惜しそうに去っていったのを今でも覚えてる。でも、どうすることもできなかった……。

 そのとき、どうしても野生に帰ろうとしなかったのはキュウだった。何をしたって、キュウは私のそばを離れなかった。それは、キュウの私に対する復讐だとしか考えられなかった」

「どうして? キュウはコウの最初のパートナーだ。野性に帰ろうとしなかったのも、当然じゃないか」

「ファオは気づいていた? キュウの尻尾が五本であることを?」

「ああ、気づいてたとも。ただ、成長が足りないだけだといつも思ってた。それにしても、あれだけ旅をしていて、成長しないのも変だとは感じてたけど」

「成長できなかったのよ。私はキュウに愛情を注いでやることがなかったから」

「どういうことだ?」

「旅を続けていくうちに、キュウは私のパーティーで一番バトルが弱い子だった。私はそんなキュウに対して、怒鳴りつける日々が続いていたのよ…………それこそ、バトル中の私の態度がキュウには常に与えられていた。あのとき私はキュウが嫌いだった。一番の悲劇のとき、負けたのはキュウのせいだとも怒鳴りつけたことがあったのよ…………。

 ロコンは通常は六本だけど、トレーナーの愛情を受ければ受けるほど、尻尾の数が多くなるといわれてる。だけど、それどころかキュウの尾が一本足りないのは、私がキュウに愛情を注がなかったことの象徴なのよ……。

 だから、それは私の重い碇となった。キュウを見るたびに私がしてきたことが思いだされる。そのことをキュウが察して、私に復讐をしてやろうという魂胆なのだと思ってた、キュウが私から離れなかったのが。そして、それが私にかせられた運命なのだと思った。だから、私はキュウの復讐が解かれるまで付き合うしかないと思った。

 だけど、それは違ったのよ。キュウは私の暗い思いに気づいてた。だから、私を慰めようとしてくれていたのよ。キュウは私を救ってくれようとしていた。いくら愛情を注がれなくても、キュウは私に対して愛情を注いでくれていた。キュウは私を信じてくれていた。――それなのに私は、それに気がつかなかったのよ」

 コウの目には再び涙があふれてきていた。キュウはコウを泣かないでというようにそっとなめて、慰めていた。ああ、このキュウの行動だって、コウを思ってるからの行動だったのだ。それにコウはやっと気がついた。だが、それはあまりに遅すぎた。

「コウ……」とファオの言葉はそれ以上続かなかった。

「これですべてよ」とコウは涙をふきながら言った。「もう話すことは何もないわ」

 沈黙が続いた。お互いもう話すことは何もなかったわけではなかったが、何を話してよければいいのかわからなかった。特にファオはコウのこれまでの四年間、誰に言うでもないその暗い思いを知ったことで、ショックを受けていた。だがファオは、重くのしかかっていた碇は下ろされたのを感じた。

「……今は、何してるんだ?」とファオは言った。

「今は……コーディネーターをしてる」とコウは答えた。「キュウの復讐を解くためにキュウを美しくしてあげようとして、コーディネーターを始めたの。美しくしてあげれば復讐も解かれるだろうって思ったから。もうそんな復讐はなかったことはわかったけど、今日の今までぜんぜん気がつかなかったから……でも、もうやめようと思ってる」

「どうして?」

 コウはそれを言うのを躊躇した。そのため、しばしの沈黙ができ、ファオは不安そうな表情を見せた。

 だが、その不安そうな表情をすぐ取り消し、真剣な表情に変わった。

「なにか……おれにできることはないか?」

「え?」とコウは問い返す。

「もし、そのやめようという気持ちが、おれになんとかできることなら…………おれは、キュウのようにコウの不安を取り除いてあげたい」

 コウはファオを見た。ファオと視線がぶつかり合う。ファオはじっとすべてを受け入れるような目でコウを見ていた。その視線から逃れられなかった。ファオの目は語っていた。

 ――ファオは私のすべてを受け入れようとしている、と。

 ――ああ、ファオ……! 私を助けてくれ、私の幼馴染で、私の好きな人…………。私のかけがえのない人……。

 もう、コウは自分の気持ちにうそはつけなかった。

 コウはその場に泣き崩れた。


「ごめんね、急に泣きだしたりして……」しばらくたった後、目に残る涙を拭きながらコウは言った。「でも、もう耐えられなかったの……この四年間の重りに」

「コウ……」

「ありがとう、私を気遣ってくれて。本当に感謝してる。四年前のあの時も、今回も本当に感謝してる。でも、今回の件はもう助けてもらうことはできない。私は……コーディネーターをやめようって決めたから」

「どうして? なんで、コーディネーターをやめる必要があるんだ? バトルから遠ざかった今、コウの支えはコーディネーターだろう」

「コーディネーターを始めたのは、何か支えが欲しかったからじゃないわ。コーディネーターを始めたきっかけは、キュウだったのよ。

 五本の尻尾――愛情を注がなかった象徴。私は、あのとき、キュウとこの象徴の呪縛に囚われていた。私が思ってたキュウの復讐。それを治めようとしたことが、コーディネーターになったきっかけだった。尻尾があればあるほど美しくなるロコン。だけど、五本しかないキュウは、美しさにもかけているのだと思ってた。だから、五本の尻尾という象徴を――呪縛から逃れるために、私はキュウを今の状態でも美しくできるようにと思って、コーディネーターになったのよ。

 でも……その呪縛はうそだとわかったし、キュウも十分美しくなった。今回のこの大会で有終の美を飾ることができなかった私には、もう未来はないし、目的もない。……これ以上、コーディネーターを続けていても仕方ないでしょう」

「本当にそうか?」

「え?」とコウはファオのその言葉に思わず言葉を返した。

「本当に、コーディネーターを続けていて仕方ないと思うか?」とファオは言った。「確かにキュウは美しくなったのかもしれない。それに呪縛はうそだったかもしれない。だけど……キュウが美しくなったことで、コウの傷は癒えたか?」

 コウはファオをじっと見つめるだけだった。コウは吟味していた。そのファオの言葉を。

「おれは癒えていないと思う」とファオは続けた。「見てみろよ、キュウを。心配そうな顔をしてるじゃないか。いや、それどころか、自分を苛んでいるようにも見える。それは、自分が主人公――キュウがコウを苦しめてしまっているというように」

 コウはキュウを見た。確かに心配そうな表情をしていた。だが、それはいつもの心配そうな表情ではなかった。目はいつに増して、涙ぐんでいるようだし、どこか……いつもと雰囲気が違った。もう出会ってから何年も経ったのに、こんな雰囲気のキュウを見たことは一度たりともなかった。

「キュウ……」とコウはつぶやいた。

「キュウは思ってるいるはずだ」とファオは言った。「コウの傷を癒してあげたい、って。コウをこんなにも悲しませて――傷つけてしまった。だから、癒してあげたい」

「でも、私はキュウを傷つけてしまったのに……」

「それでも好きなんだよ、コウのことが。そんなことが問題にならないほど、コウのことが好きだったんだ――悔しいぐらいに」

 キュウウ――と、キュウは鳴き声を出した。コウとキュウの目はこれまでにないくらいぶつかり合っていた。そして、互いのことを一気に共有しあっていた。コウがこれまで考えていたことが間違っていたこと。キュウがコウのことを想っていること。互いが互いを好きであること…………。

 コウはキュウをぎゅっと抱きしめた。その目には涙があふれ、その刹那、その涙はぼろぼろと落ちていった。

「キュウ、ありがとう」コウは涙声になりながら言った。「ありがとう……!」

 川のせせらぎは穏やかだった。



「この次はどこに行くんだ?」

 あの日から数日。コウは再び旅立つ準備をして、今はポケモンセンターの入り口に立っていた。それを見送るようにして、ファオも立っていた。

「次のポケモンコンテストが開催される町に行くわ」とコウは言った。「でも、コンテストを続けるのはキュウのためだけじゃないよ? 私自身のためでもあるの。今から故郷に戻ってもやることがないし、私はもっとキュウと一緒にいたい。それに、新しい目標を見つけたから、コンテストを続けるのよ」

「新しい目標?」

「ええ。漠然とでしかないけど……ポケモンを美しくするトレーナーになりたいと思うの。たとえ、何かが欠けていても、美しくないポケモンでも、どんなポケモンでも私は美しくしてあげたい」

「そうか。コウなら何とかなるだろう。目標に向かって行くのは得意だしな?」

「そうだといいけど」とコウは微笑みながら言った。

「もし、またあんなに苦しんだりしたら、連絡をくれよ」とファオは照れくさそうに言った。「また、その――相談に乗るからさ」

「ありがとう、ファオ」

 キュウはこのとき、久しぶりにこんなに楽しそうに話すコウの姿を見た。

 キュウウ――キュウは鳴き声を出した。キュウに振り向いたコウに、五本しかないその尻尾を振りながら、キュウは笑みを見せた。

 コウもキュウに笑みを見せた。

あとがき

 もはや、毎年恒例の行事となった、ポケモン小説スクエアの先代サイト、ポケモン情報エリア開設記念小説です。今年はポケモン情報エリア開設四周年を迎えることになりました。

 さて、今年は前作と変わってちょっとしたシリアスものとなりました。かつては優秀だったけど、今は落ちぶれてしまっている。この落ちぶれた今の姿を幼馴染の少年に見せたくないと願い姿を消すが、ついに再会してしまうと言うものです。

 自分が優秀とは言いませんが、かつてはポケモン情報エリアもそこそこの攻略サイトだった時期が一時期ありました。それが、私が嫌になり小説サイトになったことでかつてほどの勢いは失いながらも、まだこのようにサイトを運営しているというこのポケモン小説スクエアの歴史というのは、この小説にちょっと似通うものがあります。

 かつては優秀だった(ポケ情の場合は中ぐらいですが)人が、何らかの理由により落ちぶれ、それでもまだ、別の道を選び落ちぶれながらも、続けている。そのこの小説の主人公コウは、ポケモン情報エリアひいてはポケモン小説スクエアの歴史の象徴でもあるようです。

 本当は三周年のときに、こういう作品を書きたかったのだけど、かけなくて二周年ものと一緒にシリーズ化したのだけど、今回たまたまこのような展開の作品になってちょっと驚いてます。四周年とちょっと微妙なあれではありますが、今後ともがんばってサイト運営を続けていきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

もくじ