審判者の末

 自殺の名所として有名な場所になってしまえば、何かしらの対策を施すことを要求される。その対策を行うことによって、実際に某所では自殺者が減ったという事例もあり、施さなかった暁には、非難が浴びせかけられる。

 そんなこともあり、この通称「陰鬱な森」という自殺の名所でも、対策が施されていた。日光がほとんど差し込まず、木々たちは日光を求めて上へ上へと成長し、自分の場所を取り合うほど詰め寄っている。それらの木々の下である地面は、枯れ葉で覆われている。樹海というほどの広さはないが、そこそこの広さを持つのが、「陰鬱な森」だった。

 この「陰鬱な森」に、また新たな自殺志願者が歩み寄ってきていた。長髪の女性で、一点を集中しているが目は虚ろで、何を考えているのかまったく読み取れない。また、気分が悪いように足元がふらついており、今にも倒れそうだ。弱々しい足取りと虚ろな目がなければ、美しい容姿の女性であり、男たちは彼女に必ず目を向けることだろう。

 彼女の虚ろな視線の中に、小さなロッジが映された。一見綺麗のようだが、よく観察しているとだいぶ古い建物であることがわかる、ログハウス調のロッジだった。ロッジには灯りがともっているので、誰かがそこにいるらしい。しかし、彼女にはロッジがあるという認識能力しかなく、その他のことはまったく気づかないありさまだった。

 すると、ロッジの扉が開かれ、男性の姿が現れた。と共にまっすぐ「陰鬱な森」へと歩を進めている彼女に近づいてきた。彼女はその男に視線をすえた。だんだんと歩いてくる男。その足取りはゆっくりだ……。…………女性は悲鳴をあげた。

 その悲鳴は入り組んだ「陰鬱な森」の中まで響き渡ったことだろう。絶叫とはまた別の??本心から恐怖を感じたときの悲鳴だった。

「ど、どうしたんですか?」

 その悲鳴を聞き、男性は優しく女性に尋ねた。しかし、女性はその問いに答えなかった。彼女はわなないていた。男は彼女の肩に手をかけた。すると、女性は脱兎の如くその手を振り払い、金切り声をあげると悪態をあびせかけた。

「落ち着いてください!」と男はいう。「わたしは怪しいものじゃありません。わたしはあなたを救いたいのです」

「いや、やめて! 近寄らないで!」女性は金切り声をあげる。

 女性はその場に崩れ落ちた。手を顔に覆い、すすり泣く音が聞こえる。

「わたしは怪しいものじゃありません」と男性は言った。「わたしは前田といいます。あそこで、あなたのような方を待っているんですよ」

 女性は男を見上げた。年が五十歳を越えてそうな人物だが、頑固親父というタイプではなく、柔和そうな表情をしている優しそうな人だった。

「私を待っていた…………?」と女性はつぶやくようにいった。

「そうです。わたしはあなたのような苦しんでいる方を救うためにいるんですよ」男性は後の言葉はどこか付け加えたようにいった。「さあ、たってください。あちらでお話をうかがわせていただけませんか?」

 ロッジに入ると、すぐにダイニングであった。入って左側には、椅子が二つとテーブルひとつがあり、その反対側には、扇風機とストーブの両方があった。奥へとつながるドアもあるが、それは開いていないからどうなっているかは不明だった。

 有本は、テーブルを挟んだ椅子を勧められたので、そこに腰を下ろした。前田はすぐさまお茶を彼女の前に差し出すと、彼女の向かい側の椅子に腰を下ろした。

「あなたお名前はなんというんですか?」と前田は尋ねた。

「有本……です」

 女性の声は震えていた。体もわなないているし、虚ろだった目はじろじろと前田を警戒するように見ている。

「そんなに恐がる必要はありませんよ」と前田は言った。「先ほどもいったでしょう。私はあなたのような方を救うためにいるんです。あなたがどうしてここに来たのかもわかっています。さぞかし大変でつらかったでしょう。その苦しみをいうこともできない。外へ出歩くときは、肌を出さないよう気をつけなければいけない……。自殺を考えるのも当然のことだと思います」

 女性は何も言わなければ、驚いた様子も見せなかった。しかし、体の震えは静まっており、警戒するような視線もほとんどなくなっていた。

「しかし、自殺は罪深いことなんですよ」と前田は続けた。「かの有名な神父である作家は、自殺はどんな罪よりも一番の重罪だといったんです。わたしもそれに同意見です。あなたはその重罪を犯す必要はない。DV被害は抑えることができるんです。裁判所に申し立てれば??」

「裁判所には無理なんです」女性は言った。震えはなくなっていて、綺麗なソプラノが流れ出してきた。「それどころじゃなく誰にも無理なんです??たとえ神様でも。私はその人を殺してしまったんです。??でも、それは正当防衛でした」最後の言葉は急いで付け加えられた。

「それだったらどうして自殺をしようとなんか?」

「確かに解決はしました。でも、私は殺人犯なんですよ? たとえ正当防衛といえども、私は殺人犯なんです…………私は、あの男を殺してしまったことを正直に告白しました。それなのに、私は無罪放免。罪を償うことができないんです……」

「罪を償うところは刑務所だけじゃないんですよ」と前田。「この世界でも罪は償うことはできます。あなたは自由の身です。でも、自分からやれば、それは刑務所と同じことにもなるんです」

「私は自由なんかじゃありません……私は拘束されているんです。罪を償うことができない、この人殺しという過ちの苦しみから……あの男の呪縛から。私は罪の償いをすることさえも許されないんです…………」

「しかし、それでも罪を償うようにしないといけないんです。遺族へ謝りに行ったり、お墓参りをしたりすることによって、罪を償うことはできるはずです」

「そんなのは無理なんです。あの男の呪縛から抜け出すことはできないんです……。あの男が私を呼んでいるんです……」

 彼女はふたたびわなないた。呪縛…………。

「大丈夫です。ここではなにもおこりませんよ」

 前田は優しくいった。彼も彼女の恐怖を感じ取ったのだ。受けた惨劇を思いだしているに違いない。それがどれほどの恐怖だったのかは、想像に頼るほかない。

「有本さん」と前田はいった。「呪縛にとらわれているなら呪縛を解けばいいんです」

「そんなの……無理よ」

「無理じゃありません。あなたが恐れている男は、もうこの世界にはいないんです。なにも恐れることはない。その男などいないんですから」

「でも……」

「呪縛はあなたの心の中にあるんです。そして、その呪縛というのは、あなたがその男を恐れていることにある。みんなあなたしだいなんですよ。よく考えてみてください。その男はもうこの世界にはいないです……」

 有本は考え込み始めた。目の前にいるようにあの男が出てくる…………まるで生きているように。しかし、その男はもうこの世界にはいないのだ。決して、暴力を振るうことももう決してない……そう、自由なのだ……。

「私は」と有本はいった。「自由になれますか?」

「もちろん」と前田は力強く言った。

 女性は顔をしっかりとあげて、前田を凝視した。前田の目は力強く、有本の目も力強くなっていた。

「さあ、帰りましょう」と前田は言った。

「はい」と女性は答えた。


 前田の職はつまりこういうことである。自殺の名所として多くの人に知られている「陰鬱な森」にやってくる自殺志願者たちを引きとめ、説得をし、自殺するという考えを破棄させる。そして、元の社会に戻り、新しい人生を送らせる、というわけだ。

 もちろん「陰鬱な森」には、複数の入り口があるし、前田がいるロッジ??通称「引止めの小屋」を通らない自殺志願者もいる。ほかの入り口には、引止めの小屋があるという旨と、人生はやりなおせるという旨が書かれている看板がたっている。

 自殺の名所だからこそ、この小屋があるだけあって、一日の訪問者数こそ少ないもの毎日来るということもあり、月に五十人もの自殺志願者がやってくることがある。前田はこれらの自殺志願者と毎日会い、自殺をやめさせようとしなければならない。その自殺の理由はさまざまで、有本のようなDV被害者、生活難、借入金の返済ができなくなるなどなどの理由をもつ。

 しかし、いずれも解決策はある。

 DV被害であれば、裁判所への申し立てをし、裁判を起こせばよい。もっとも、こうするには、被害者の勇気が問われることとなる。相手が示談を申し込んでくれば、加害者のほうはDVをする人間の決まりとして、誠意をこめて謝ってくるに違いないからだ。このことにだまされないことと、訴訟を起こす勇気がいるのは事実である。

 生活難に関しては、事情によって異なるが、一番よいのは生活保護であろう。とはいえ、生活保護も近年では厳しくなり、ほとんど受け付けてもらえないという。前田は常々、生活保護に関する訴訟を国民が起こすべきだと考えていた。お金を惜しみ国民を惜しまない国ほど最低なものはない。

 借入金の返済難に関しては、弁護士に相談するのがまず第一のことである、と考えられる。返済期間を延ばしてもらったりして、徐々に返してゆくのだ。利息率が高ければ、法律に触れ、それを払わなくてよい場合も出てくる。もう何もできなくなれば、自己破産をするという手がある。これは、借入金をなくす代わりに、経歴に汚点がついてしまうが、死ぬよりはましであろう。

 と、このようにして前田の脳内には、さまざまな自殺理由に対抗すべく手が刻まれているのである。しかし、彼も人の子であり、神からの使者であると勘違いしてはならない。


 新たにやってきた自殺志願者を見て、前田は少しショックを受けてしまった。彼の目に映った女性の自殺志願者は、前に一度、この森に一度自殺志願に来ていたのだ。いわば、「陰鬱な森」への再訪である。

 その女性のことで、覚えていたことは、名前を川相といい、有本と同じくDV被害にあっていたということと、引きとめは成功し、川相は社会へと復帰したはずである、ということだけだった。

「どうしたんです、川相さん?」

 前田は小屋を出、川相に話しかけた。すると、川相は前田をにらみつけた。前田は一歩下がってしまうほどの形相だった。

「みんなあんたのせいよ!」と川相は悲鳴に近い声をあげた。「あんたが私をあのときに死なせてくれなかったから……」

「落ち着いてください、川相さん!」と前田は大きな声をあげなければ、彼女は落ち着こうともしなかったろう。「いったい何があったというんですか?」

「もういやなのよ、あの男のいるところになんかいたくないの……」

 川相は両肩に手をかけて、その場に崩れこんでしまった。その体はわなないていた。そうか、と前田は思った。彼女はまた…………。

「戻らなければ??」

「そういうわけにはいかないの!」と川相は鋭く切り返した。「あの男はどこまでも私を追ってくる……一度逃げ出してもそうだったもの。戻らなかったら、あいつは私を探し出して、暴力を振るうのは目に見えてる…………。

 私はもう、生きていたくないのよ……。こんな世界はもう金輪際ごめんなのよ……」

 彼女は泣き出した。両肩におかれていた手は、自然と顔に持っていかれ、顔は両手で覆われてしまった。また、長髪の彼女は、その髪がさらに顔を覆ってしまった。

 時は夕刻だった。もうすぐ闇の世界がやってくる。そう、黄泉の国へ行くためのロードが開かれる夜の世界。

 前田は、彼女を見ていて心が痛くなった。さらに自分の良心を呪った。彼女を救うために彼は説得をして、社会に戻したのだ。それなのに、社会に戻すことで、彼女を救うどころか、さらに苦しめてしまった。底なし沼にとらわれたように、もだえ苦しませてしまった。さらに、彼女にさらなる深い傷を負わせてしまった……。

 さらに苦しめることが、救うということなのか? そんなはずはないのだ。それは、彼女を最初に苦しめさせ、自殺に追い込んだ人物と同じことをしているのだ。

 前田は、ゆっくりと、小屋に引き返していった。泣き崩れた川相をその場に残したまま。

 ??自分は…………天使でなく悪魔なのだ。


 引止めの小屋は、川相の再訪によって闇の世界に閉じ込められてしまった。自殺志願者は、引止めの小屋が目に映るものの、それはまるで幻覚だった。ひっそりと静まり返り、人がいるような気配はまったくない。しかし、引止めの小屋に前田はまだ住んでいた。

 彼は自分のやっていることに疑問を持っていた。たとえ、その人をここで救っても、その後が救われた人生であるという保証はない。川相のようにさらなる苦しみを受け、まだ自殺志願をする……そうなるのであれば、最初のうちに自殺をさせてしまったほうが、よいではないか。自殺するのを遅らせたところで、さらなる苦しみを受けなければならないのだから…………。

 だが、かの神父の作家がいったように、自殺はどんな罪よりも一番の重罪だ。その重罪を犯さないようにするのが、役目なのだ。それを放棄していいのか……重罪を犯させていいのか……。

 この問題は、前田をかつてないほどの苦悩に陥れた。彼は昼夜を問わず、その問題が頭から離れない。振り払おうとしても、その問題は離れないヒルのようにくっついたままだ。

 その問題がくっついたままのとき、引止めの小屋にまた新しい自殺志願者がやってきた。前田はちょうどそのとき、この「陰鬱な森」を眺めているときで、その志願者を目にとめることとなってしまった。その自殺志願者は有本だった。

 前田は有本をみて、すぐに川相を思いだした。自殺志願者の再訪。それは前田にとって、一番の恐怖だった。彼は、彼女の前に立ちはだかるのをためらった。いくら自殺志願者がこようとも、今はまだ志願者たちの前に姿を現す勇気を彼は持っていなかった。また傷つけてしまう運命になるのではないか……。

 しかし、彼が悩んでいるときの自殺志願者は彼の目に留まっていなかった。だからこそ、彼らは自分の思い通りになった。しかし、このとき前田は彼女を見てしまった。自殺をしようとしている彼女を…………。

 前田は小屋を飛び出した。彼女においつくと、肩に手を置いた。

「どうしてきたんです?」その口調は今までの前田とはまったく違う、威圧的な調子だった。「なんでまた自殺なんて……」

「あんたのせいよ!」と有本は叫んだ。「あのときに死んでいれば、私はこんなに苦しまなくてよかった…………」

 前田は一瞬にして、その威圧的な調子がなくなり、その場にうずくまるような感じになった。彼女もまた、新しい苦しみを受けたのだ……。

 自分のしたことは間違っていたのだ、と前田は有本に悪態を尽くされながら思った。そう、自分は天使ではなく……悪魔なのだ。こんな悪魔はなくなったほうがいい。それに自分も疲れた…………。

 気づくと、有本の悪態はやみ、その場に彼女は泣き崩れていた。両手をしっかりと顔に覆っていた。

「有本さん」と前田がいった。「行きましょう」

 有本が覆った手をどかし、上をみると、そこには前田の手が出ていた。前田の顔にその視線を移すと、その表情にあの柔和な表情はなくなっていた。ただ、苦悩と決意の表情が浮かべられていただけだった。

 有本は前田が差し伸べている手を取った????。

 自殺はどんな罪より一番の重罪だ。しかし、元の世界に戻しても、同じことを繰り返し、苦しみを深めてしまう。

 この矛盾は何なのか?

 いったい正義とは何なのか?

あとがき

 習作第二作目です。今回は、正義をテーマにして書いてみました。なんか、メインテーマが自殺で裏テーマが正義というような感じになりましたね。この習作ではストーリーについての勉強などという点もあるのですが、ほとんどの小説ではこのような形になっているものなのでしょうか。

 さて、今回の正義がテーマですが、「ホカベン」という原作はマンガのドラマを見ていて考えました。いったい正義とは何なのか? 誰かのためにやったかと思えば、別の人が苦しむ。それが正義なのか…………。誰かが苦しんでも、それが正義なのか。それはおかしい。では、何か正義なのか……と。

 正義について論じれば無限大らしいです。正義とは見た人によって代わるものであるから、定義も難しいらしく、正義は何なのかと延々と考えさせられます。

 作品については、あまりよい出来とは思えません。自殺というのが表にでたテーマになっているため、登場人物の感情の変化がなかなか難しいところで、不自然な話になってしまったと思います。肝心のテーマに関しては、「螺旋ループ」と比べればよくなっているように思いました。

もくじ