有名画家の息子

 谷川がその別荘を訪れるきっかけとなったのは、展覧会のことであった。

 彼は絵に興味を持っており、展覧会で絵を見るのは彼の楽しみであった。しかし、彼は展覧会で絵を見るというのが楽しみであったわけではない。本来ならば、絵の収集家や専門家のように絵を購入したいのだが、いかんせん値段が張る。しがない仕事のサラリーマンである彼が、そのような絵を買うわけにもいかず、ただただみるしかないのである。

 そんな彼がいつもしていることは、よい絵には感想を付けるということだった。毎回、お金がないから購入できないが、という旨を添えた上でその絵の感想を書き記し、その絵の画家に渡してくれるように、館員に頼むのである。それが、彼の画家への感謝の気持ちであったのだ。

 その彼の行為が、どんな実を育ませたかよくわからないが、彼は感想を付けた画家から返事をもらったのである。その返事には、感想をいただいたことをうれしく思う旨と共に、今度その画家の別荘でパーティーを開くので、ぜひとも招待したいということだったのである。

 その招待を快く彼は承諾し、お連れ様もどうぞとのことだったので、彼は友人であり絵画鑑賞の仲間でもある、岩上を連れて行くことにした。岩上はおとなしい小心者的な性格の男で、谷川のような積極性はまったく持ち合わせていない。しかし、その性格とは正反対に長身で、三枚目といえる顔立ちをしている。谷川とは、性格のみ対照的な男である。

 数日後、彼らは山奥の別荘に車を走らていた。昼間だというのに、空は雲に覆われており、夕暮れぐらいの暗さだったためヘッドライトがついてた。なにせ夏とはいえど、曇天ではいかんせん暗いのである。この天気は、彼らが画家の別荘についたときも続いていた。

 別荘に車が入ったとき、すでに夕暮れ時で、界隈は真っ暗だった。その中で、一筋の光が家のほうから見え、一人の男が姿を現したのが認められた。優しそうな微笑をたたえた好感が持てる青年だった。背広に身を包み??それは谷川も岩上も同じだったが??しゃきんとした男だった。

「谷川さんでいらっしゃいますか?」

 その青年が尋ねてきたので、谷川はそうであるといった。

「初めまして、桧山さん。こっちの方は、岩上さん。絵画鑑賞の友人です」と谷川は岩上を紹介した。

「初めまして、谷川さん、岩上さん」と桧山は言った。「招待を快く承諾されていただきありがとうございます。それに、谷川さんには絵の感想もいただきまして……」

「いえいえ、購入できないんですから、それぐらいのことはしませんと。あの絵は売れましたか?」

「はい、おかげさまで……ささ、こんなところにいるのもなんですし、中に入りましょう。すでに、別のお客様もいらしてますよ」

 玄関を入り、彼らは一番手前のドアの中に入っていた。その部屋は長方形の形をしており、中央には長テーブルがあり、料理が並べられていた。そのテーブルを囲むように、三人の人物たちが席に座り、話を交わしていた。桧山は、右手奥の二番目の席から順に谷川、岩上の順で座らせて、自らを右手奥の一番奥の席??つまり、谷川の隣??に着席した。

 谷川側からみて、右側??桧山の席の前??にいるのは女性だった。年配系の女性で、話を始めたらもうとめられないといった感じの老婆である。谷川の前の席にいるのも女性だった。しかし、こちらは年配とはいえず、三十代ぐらいの女性であるが、いささかずるがしこそうな女という印象を谷川は受けた。そして、最後に谷川の左側??岩上の前の席??にいるのは、めがねをかけた男だった。どこか頼りなさげな感じがある男である。

 そして、上座には…………。

「ここは父の席です」と谷川が上座についていうと、桧山は答えた。「僕の父がくることになっているんですよ。谷川さんは、桧山雄三という画家をご存知でしょうか?」

「もちろん、知っていますとも! 桧山雄三といえば、花鳥風月四部作で有名な画家じゃないですか」

「ええ。その桧山雄三は、僕の父なんです。僕は、父の影響を受けて、画家の道を志したんですよ」

 そのとき、別荘の前に一台の車が止まったようだった。桧山は立ち上がり、父を迎えに外へ出たかと思うとすぐ戻ってきて、部屋のドアが再度開いた。

 そこには、年配ながら巨漢の男が大きく聳え立っていた。まるで、この部屋を占拠したかのような……そんなイメージを谷川は持った。

 ドシン、ドシンと歩いている間、部屋は静まり返っていた。その間にも有名な画家、桧山雄三は上座まで向かい、やがてその席にドシンと収まった。

「では、ご紹介をさせていただきます」と父が席に座るのをみると、桧山は言った。「こちらが、僕??いえ、私の父である桧山雄三であります。父さん、何か一言でも……」

 雄三は座ったままいった。

「こんなもののパーティーによく参加されましたな、皆さん」その声の調子には侮蔑の念がこめられいた。「まだまだこんな若造に絵の道は遠いですのにな。三木さんもよくこんなパーティーに参加される気になりましたな?」

 雄三は、すぐ隣にいる老婆に話しかけた。三木老婆は答えた。

「そこまでいう必要はないと思いますがね。確かにまだ若いかもしれないが、大人の絵にはなってきていると思うよ」

「ほう、あんたはそう思うかね?」侮蔑の念をこめて意外そうに雄三がいった。「あんたはどうかね、お若い女性?」

「わたしは木之下といいます。私は、三木さんに賛成ですね」

 雄三はまたもや意外そうにしていた。

「まあいいでしょう。とにかく、私が言うことは特にない。先を続けようじゃないか、幸久?」

 パーティーは始まった。雄三を除いた人物たちは、みな楽しそうに話をしていた。みな、絵という共通点を持つ人物であるから、話題につきることはなく、消極的な岩上すらも、話に加わることができる、なんとも優越感あふれるものだった。

 めがねをかけた男性の名は、日下部というらしい。彼は画家のスカウトをしているスカウトマンであり、桧山をスカウトしたらしい。老婆の三木は画家であり、雄三と知り合いでもあった。谷川はその人物が、かつて有名な絵を描いたことを知っていた。若い木之下も画家であり、こちらの作品も谷川は知っていたし、感想を送ったこともある。

 パーティーはそのままなおも続き、やがて雄三が息子を呼び、息子と共に部屋を出て行ったのに谷川は気づいた。数分して、桧山が戻ってきたので、お父さんはどうしたのか谷川は尋ねた。

「そろそろ眠いから、寝るということで、部屋につれていきました」と彼は答えた。

「それにしては幾分早くありませんか?」

「執事に途中出会いましたので、彼に頼みました。執事は、父の執事で一緒についてきたんです。僕はあの執事を知っていますが、かなり優秀な執事ですし、保証の印を押せる男なんですよ」

 このときの時間は、二十一時だった。確かに、パーティーをやるには大分時間がたちすぎている。それに料理の大半は平らげられている。そのため、桧山は話は尽きぬがパーティーはここまでにしよう、ということになった。

 しかし、そのとき長身の長いひげをはやした男が部屋に現れた。どうやら、それが執事のようであった。

「どうしたんです?」と桧山は尋ねた。「父は寝床に入りましたか?」

「入られました」と執事は答えた。「たった今ふもとから連絡が入りましたので、すぐにお伝えしたほうがいいかと思いまして」

「いったいどうしたというんです?」

「この別荘に来るための一本道が、先ほど土砂崩れをしたことでふさがってしまったそうです」

 谷川は、瞬間的に窓に近寄りカーテンを開けた。確かに雨は降っていた。まあ、それは音がしていたことからうすうす気づいてはいたのだが。

「復旧はどれくらいになる?」桧山は執事に尋ねた。

「一日はかかるとのことです、はい」

「一日か」桧山はみなのほうに視線を戻した。「どうやら、皆さん。今日はお帰りになれないみたいです」

「そのようですね」老婆は言った。「まあ、それでは仕方がありません。今日はここにとまることにいたしましょう。そうさせてくださいますよね?」

「もちろんです」桧山は答えた。「部屋はありますので。ただ、どなたか二人だけ相部屋になってしまうのですが……」

「それでしたら、私と岩上がなりましょう」と谷川は名乗り出た。「いいよね、岩上?」

 岩上は同意した。

 これによって、谷川と岩上の相部屋となり、ほかの三人は個人部屋を割り当てられ、桧山自身は自室に入ることとなった。各部屋は、みな二階にあった。二階は通常の家の中廊下型であった。

 みなが部屋に閉じこもってから、一時間がたった。谷川と岩上は、雑談をかわしてその一時間を乗り越えたが、話題がなくなりつつあった。その話題を補うかのように、岩上が現状についての話を持ち出した。

「大変なことになったよね」と彼はいった。「まさか、こんなところに閉じ込められたなんて」

「岩上さんは明日何か用事でも?」

「いや、ないですけどね。でも、こういう状況になると、僕は推理小説を思いだしますよ」

「おいおいよしてくれよ」谷川はたしなめるようにいった。「こんなところで、殺人が起こっても困るよ。殺人者と一緒に生活するなんてごめんだよ」

「それは僕も同じですよ。でも、こんな感じになるとどうしてもそんな気がして……」

「ま、そうならないことを祈るしかないか。でも、殺人が起こるような雰囲気には見えなかったけどな。まあ、こんな話はやめましょうよ。いやな感じが起こって仕方ない。??なんか、どんどんとたたく音がしないか?」

 谷川は何かドンドンとたたく音を聞いた。それはいまだに聞こえており、岩上もそれを聞いた。なんだろう、と思い谷川はドアを開き、廊下をみてみた。

 谷川と岩上の部屋は、左に部屋が連なり、右にいくと何の部屋もなく、すぐに階段へとなっている。音はその階段下から聞こえてくる。二人は何事かと思い、階段を下りると、ドアをどんどんとたたいているのが日下部であることがわかった。日下部は、パーティーをした部屋からひとつはさんだ部屋のドアを「先生、先生!」といいながら、たたいていた。

「いったいどうしたんですか?」と谷川は尋ねた。

「先生が書斎に来てくれとおっしゃられたので、書斎にこうしてきたのですが、ドアには鍵がかかっているしたたいても反応がないんです。先ほど、先生の部屋にもいきましたが、そこもおらず、また戻ってきてここで、こうしていたんです」

「執事には尋ねてみましたか?」

「いえ、執事が見つからなかったもので……あ、執事」

 玄関とは反対側のほうから、執事が突然現れた。彼もいったい何事かと、少し憤りぎみにいった。日下部は再度話すと、彼はいった。

「それは変ですね。とにかく探してみましょう。日下部さんは、こちらで待っておられたほうがよろしいでしょうね」

「そうですね」と谷川は同意した。「雄三さんが来るかもしれませんからね」

 そういって、執事、谷川、岩上は邸内に雄三を探しに向かった。その間に、桧山や木之下に声をかけられ、彼らも雄三の捜索にあたることとなった。しかし、雄三は見つからなかった。彼らは日下部のところへ戻ったが、そこにも雄三は見つからなかった。

「となると」と谷川は言った。「この中に雄三さんが……?」

「しかし、それなら応答するでしょう」と桧山。「いくら眠っているとしても、これだけ騒いでいれば起きますよ」

「とにかく、この中に入りましょう」と日下部は提案した。「合鍵などはないんですか?」

「ありませんね」桧山は言った。「こうなればドアを壊すほかないようです」

「書斎に窓はないんですか?」とやっと岩上は口を開いた。「ドアを壊すなら、そっちのほうが簡単ですよ。ここは一階ですから…………」

「窓はあります。では、そちらからにしましょう。窓までわたしが行ってきます」

 ここで、谷川と岩上も名乗りをあげ、三人で庭に出ることにした。外は大雨で、置いてある傘をさし裏に回った。

 書斎の窓からは明かりが漏れていた。彼らはその窓から、中をのぞいてみた。

 そこには、宙に浮かんでいる人間の背中が見えた。

 それをみた、三人は驚きのあまりいったい何が起こったのか一瞬理解できず、その場に立ち竦んだが、すぐさま起こすべきことが脳内をよぎり、窓ガラスを激しく割ると、中に押し込むようにして入り、宙ずりになっている人間の近くにあった椅子を立て直して、宙ずりの人間??桧山雄三を下ろした。

 ドアをどんどんとたたく音が室内に響いた。岩上はゆっくりとドアに近づき、鍵を解除するとドアを開けた。そして、中をみた三人は絶句し、また木之下に限っては叫び声をあげた。

 執事は彼女を気遣って、部屋からできる限り遠ざけた。日下部はゆっくりと中に入ってきた。

 みなは、桧山は父の首に巻きついている忌々しいロープを解いており、谷川と岩上はその光景をただただ見ているだけだった。やがて、岩上は警察に連絡しないと、といった。

 日下部は電話をかけに行った。そのとき、ロープは解かれ、彼の父がただただその場に倒れているだけとなった。

 谷川は雄三のポケットを探りにかかり、岩上は部屋を見回した。彼らは言葉にこそ出さなかったものの、部屋での会話を思いだしていたのである。状況的に警察が来るのは一日後。その間、雄三をこのままにしておくわけにもいかず、彼らは初動捜査を始めようというのである。

 特に岩上は、絵と共にミステリにも興味を持つ男だった。ただ、小心者であるから頼りなさげではあるが、その分、推理小説をよく読んだりしている。一方の谷川は、彼ほどではないが、ミステリには幾分精通している。ただ、あくまで本の世界、であるが。

 雄三のポケットから鍵は出てこず、鍵は入り口近くの棚においてあったのを岩上が見つけ出した。鍵はかかっていたことだし、窓の鍵もかかっていたことを岩上は谷川にいった。

「自殺ですよね、この状況じゃ」

「どうして、自殺なんか……」桧山はぽつんと涙ぐんでいった。

 そのとき、日下部が戻ってきた。案の定、警察はこちらに来ることはできないという旨を伝えてきたらしい。谷川は、桧山を連れていって、安静にしておいてくれと日下部に頼み、書斎には谷川と岩上だけになった。

「あんな話しなければよかったですね」と岩上は言った。

「そうですね。こんなことになるなんて…………。とにかく、調べるだけ調べておきましょうよ。警察が来るまでに、できる限りの捜査はしておきましょう。どうせ、警察が来たときは、遺体は片付けるんですからね」

 室内を調べてもこれといったものはでこなかった。そう、これといったものは出てこなかったのだ…………遺書すらも。

 遺書! それは、自殺をする人が必ず用意するといっても過言ではないもの。

 それがないことがわかったとき、谷川はあることを発見した。それは遺体の首にある痕である。首には、ロープでつられたときの痕のほかに、もっと太い??ロープではない痕が混ざっていたのである。それも、ロープは上ななめの痕なのにたいして、こちらは平行線色が強い痕だった。

「これは殺人ですね」と岩上は言った。

「どうしてです?」谷川は尋ねた。

「痕が二つあるということは、二回絞められたことになります。そのひとつはロープなわけですし、もうひとつとなればおのずとわかりますよね? もし自分でやったなら一回分しかできないし、ましてや自分で首を絞めてからロープでつるなんて芸当はできませんから」

「それはそうだ」谷川は納得した。「でも、この部屋は密室だったわけだし、わけのわからないことになったな」

「とにかく、皆さんに話を聞きに行きませんか? 犯人を捜すときの重要な点の一つである、動機を探せば犯人がわかるかもしれませんよ」

「おいおい、岩上さん! 何も、私たちが犯人を見つけるなんてことはしなくてもいいじゃないか。というより、そこまでするつもりはもともとなかったんだが…………」

「でも、殺人犯がわからぬまま一緒に一日といえどいるのは……」

「それでも、探し当ててしまっては私たちが危険になると思うんですが」

「大丈夫です。これ以上、殺人は起きないはずです」

「どうしてですか?」いささか驚いたように谷川は聞き返した。

「僕には、少し犯人像が見えてきてるんです。だから、なんとなくわかるんです。後は、その犯人像に当てはまる動機を見つけられれば、その人が犯人であることがわかるんです…………」

「でも、動機は物証にはなりませんよ。捕まえることはできない」

「僕はいいましたよ。犯人を捜す、とね」

 素人探偵岩上は、谷川から見るといつもの彼ではないように思われた。


 谷川と岩上の探偵ごっこに付き合っている暇はない、それがみなの意見であった。こんな状況下において、そんなことに付き合っていては神経が持たない、そういうのである。

「しかし、このまま殺人犯と一緒にいては何が起こるかわからないんですよ」と谷川は言った。「このままでは、また殺人が起こるかもしれない……」

 谷川はすでにそのことが否定されていることを知っていたが、協力してもらおうにはそういうのがいいと考えていた。まさに、嘘も方便である。

「ちょっとまってくださいよ」と桧山は言った。「父は自殺なんじゃないんですか? いったい殺人って…………」

「殺人であるという、物証もあるんです。雄三さんは自殺なんかじゃない。殺されたんだ」

 その谷川の言葉に、相当真剣な響きがこもっていたのであろう。そして、彼らの中に不安がよぎった。誰かがまた死ぬかもしれない…………一日殺人犯と共に生活しなければならない……。

 彼らは、おとなしくパーティーをした部屋に集まり、それぞれの席についた。すると、彼らの部屋にそれぞれ一人ずつ来るようにいい、監視を執事と桧山に頼んだ。

 最初に来たのは、木之下であった。二人は彼女を席にすすめ、着席すると質問を切り出した。

「あなたは雄三さんとは面識がおありでしたか?」と谷川が尋ねた。

「ありません。今日初めてお会いしました」とわかりきった答えた帰ってきた。

「桧山さんとは……桧山さんというのは、幸久さんということですが、彼とはどういったご関係で?」

「画家友達としか、いいようがありませんね。幸久さんが、画家の道を歩むというのでそのパーティーにも参加させていただいただけです」

「幸久さんと、何かいざこざはありませんでしたか?」

「ありません」

 彼女はこれだけの質問で、引き返した。谷川は、彼女がもっとも犯行動機が薄い人物であるといったが、岩上は特に何も言わなかった。

 次にやってきた執事は、もっとも有力な候補であると谷川は考えていた。執事となれば、何かしら不平不満を漏らされる場合もあるのだ。最も主人に近い人物であるのだから。

 谷川は質問を始めた。

「何か、雄三さんは心配事を抱えていたということはありませんでしたか?」

「いえ、なかったようです。ただ、なにやら不機嫌なご様子でした。何かいやなことがあったとお見受けしていましたが、それが何なのかはわかりません」

「桧山さん??幸久さんと、何がトラブルとかはありませんでしたか?」

「ありませんでした」執事はムッとしつつ答えた。「仲がよいとは申しませんが、何かトラブルごとがあったとはまったく思えません」

「あなたは、最近何か雄三さんにいじめられたとか、解雇するとか、雄三さんといざこざはありませんでしたか? あなた自身が、ですが」

「失礼な。そんなことはありませんでした」

「幸久さんは?」

「ありません」

 谷川は岩上をみた。彼は何も言うことはないようにしており、執事を返すこととした。

 次は日下部がやってきた。

「雄三さんとは面識がおありでしたか?」??ありませんでした、と彼は答えた。

「幸久さんと何かいざこざはありませんでしたか?」??ありません。デビューの話も順調に進んでいました。

「雄三さんと幸久さんの間にいざこざがあったかどうかご存知ありませんか?」??知りません。

 と、ここで岩上が初めて口を開いた。彼は、彼に質問をした。

「雄三さんと本当に面識がおありではなかったですか?」

「ありませんでした」

「しかし、会社で有名な画家さんなんですからありそうなものですが……?」

「それでも、私はあったことはありませんでした」

 彼は、うなずき、日下部を返した。

 次は三木である。

「雄三さんとは面識がおありでしたか?」??ありました。昔からのライバルでもあり友でもあると、私は思っておりました。

「幸久さんと何かいざこざはありませんでしたか?」??ありません。

「雄三さんと幸久さんの間にいざこざがあったかどうかご存知ありませんか?」??知りませんねぇ。

 と、ここでも岩上は彼女に質問をした。

「あなたは、あれだけ騒いでいたのに、姿も見せませんでしたね? いったいどちらで何をされていたんですか?」

「部屋で寝ていましたよ」老婆は答えた。「私はね、早く眠る習慣があるんですよ。それに、今日は楽しませてもらった分疲れましたから、早く寝ただけです」

 岩上は彼女を返すと、部屋を出て行った。しばらくして戻ってきたかと思うと、彼がじきじきに桧山幸久を連れてやってきた。

 彼は席をすすめると、谷川は質問を始めた。

「何か、雄三さんといざこざはありませんでした?」

「いざこざはありませんでしたね」と彼は答えた。「ただ、ひとつ問題が」

「なんでしょう?」岩上は鋭く尋ねた。

 桧山はその話を始めると、岩上は納得し、三人で共に階下へと降りた。

 階下の部屋には、息苦しい空気が漂っており、谷川は入った瞬間、心苦しい気持ちになった。こんな事が起きたのに、こんな調査を行っているのである。さすがに、つらいものがあるだろう。

 岩上は、谷川と桧山にも座るようにいって、自分は前に出て行った。そして、彼はいった。

「この事件の真相をお話しましょうか」


 部屋には雷が走ったように、みな顔をあげ岩上の顔をみた。それぞれの目には、何を言っているんだこいつという侮蔑がこもっていたが、岩上の真剣な目をみると、そんな侮蔑は自分がおろかであることを象徴しているかの如くに思えた。

 一番驚いていたのは谷川である。今の岩上は普段の岩上ではない。小心者な岩上ではなく、謎を解く探偵でその推理をいままさに発表しようとしているのだ。その発表にいささかのためらいも持っていない。

 彼はいった。

「この事件は密室という、推理小説でも王に君臨するトリックが用いられています。密室なら本来解くのは難しく、僕みたいな凡人には解けないのですが、おそらくこれであっているのではないかと思います。正直なところ、この推理に確信に満ち溢れているというわけではありません。

 まず、この事件が殺人であるということの証明をしましょう。雄三さんの遺体の首には、痕が二つありました。ひとつはロープによってできた、斜めの痕。もうひとつは、ロープでない別のなにか出てきた平行な痕。どちらが死に至らしめたのかはわかりませんが、いずれにせよ警察がくればわかることです。これはおそらく、後者が死に至らしめたであろうと思われます。

 この状況から、ロープの痕が後にできたことがわかりますね。ロープでつってから、死に至らしめる痕ができることはありえません。となれば、これは自殺なんかではなくなる。そんなことを一人でできるわけがないのですから。つまり、これは殺人です。

 さて、この事件は確実に自殺と思われる密室ですが、今回の事件には遺書がありません。遺書がないということは、つまり殺人であることを示しているようなもの。そして、密室というのは自殺であると示しているようなものです。つまり、遺書がないのに密室という矛盾が生じた場合、両方が同時におきたということになります。

 つまりこういうことでしょう。犯人は計画的ではなく衝動的に雄三さんを殺害してしまった。そして、どうしていいのかあせったあまり、彼はパニックになった頭で、雄三さんが自殺であるように仕組んだわけです。犯人は、遺書を作らないと自殺である可能性が薄れることを知らなかったのか、それとも遺書を作ったことで、筆跡鑑定にでも回されたら、すぐにばれてしまうのを恐れたんでしょう。いずれにせよ、遺書は作らなかった。

「それがいったい何をあらわしているというんですか?」桧山は尋ねた。

「まあまあ、これが犯人の殺人の経路ですよ。そうですよね、日下部さん?」

 みなの視線が一瞬にして、日下部のほうへ向けられる。日下部は、驚きの表情を見せつつも、いったい何の冗談を、といった。

「冗談ではありませんよ。ねえ、日下部さん、警察がくればわかることなんですよ。僕は何もあなたもここで縛るということをいってるんじゃないんです。それは、警察の役目ですから」

「冗談じゃない。いったい何の根拠からそんなことをいうんだ?」

 岩上はため息をついた。

「仕方ありませんね。では、犯人はいったい殺人を犯し、自殺であるように見せかけた後、いったいどうしたのでしょう? ほっとけばいいわけです、そのまま。しかし、それでは殺人の疑いも出てくるかもしれない、とでも考えたんでしょうね。遺書の件について知っていたならば、それが理由ですし知らなくとも密室という環境を作り出せば、おのずと自殺で見えるということぐらいは知っていたんでしょう。密室は、不可能犯罪のひとつですからね。

 いずれにせよ、犯人は密室を作り出すことにした。しかし、密室なんてものはそう簡単にはできるものではないし、実際には不可能であるということがよくいわれているだけあり、実際に実行するには無理があったんでしょう。そこで、犯人は一番簡単な密室というのを思いだしたんです…………」

「一番簡単な密室?」と谷川は尋ねた。

「早業殺人ですよ、きみ」と彼はいった。「言葉は知らなくともトリックを説明すればわかるでしょう。ドアを閉めて、ドアを破壊し中に突入し、誰かを警察か何かに連絡をさせているうちに、鍵を室内におくトリックですよ。最も現実的で簡単な方法はこれしかありません」

「でも、部屋に入ったとき誰も一人にはならなかったはず」谷川は指摘した。

「必ずしも一人ではなくてもいいんですよ、このトリックは。誰かがかぎをおくのをみていなければいいんです。そして、そのチャンスがあったのは事実です。僕らは死体に視線を奪われていたんですから」

「しかし、それじゃあ…………」と谷川は桧山をみた。桧山はその視線に気づいたようで、わたしじゃない! と弁明を始めた。

「あくまで僕は日下部さんであると主張しますよ」と桧山をなだめつつ岩上が言った。「かぎのあった位置を思いだしてください」

「かぎのあった位置?」と谷川。「確か、入り口近くだったような…………」

「そう、入り口近くです。僕らが死体に釘付けになっていたとき、入り口に付近にいた人はただ一人??日下部さんです」

 沈黙。

「馬鹿な」と日下部は沈黙を破った。「いったいどうして雄三さんを殺さなければいけないんだ。それに、そんな理由で犯人にされるのは不愉快だ」

「しかし、これが事実なんですよ、日下部さん。それに動機もわかっています。あなたは、雄三さんに面識がなかったのは確かでしょう。ですが、面識ができた後、あなたは書斎で雄三さんと二人であったんじゃないんですか。幸久さんは言っていましたよ。『父はわたしのデビューには反対だった』と。しかし、あなたは言った『デビューの話も順調に進んでいました』と」

「幸久さんが嘘をついているのかもしれない」と彼は軽蔑の目で、桧山をみた。

「それはないでしょう。執事さんから聞いたところによると、雄三さんは何か不機嫌な様子だったといっています。息子さんはデビューしたがっている。それに対して、自分はそれに反対している。反対を押し通そうとしている息子のことを考えれば、不機嫌になるのも当然な気がしますよ」

「しかし??」

 岩上は日下部が何かをいおうとすると、すばやくいった。

「ねえ、日下部さん。警察がくればわかることなんですよ。この別荘に来たことのないあなたが、椅子で発見されるであろう指紋や鍵についた指紋を検出すればね。夏の時期です。衝動的な犯行では、手袋などよういしていないだろうし、ハンカチを使えるとはいえど、同じ部屋に三人の人間がいるというのに、ハンカチで持ってかぎをおいたのでは、あまりにリスクが大きすぎますからね。必ず、そこから指紋が出てくるはずなんです。

 わかっていると思いますが」と岩上は念を押した。「警察が来るまでに逃げられるということはありませんよ。ほかのどなたも手伝ってくださらなくても、僕はあなたをずっと監視しますからね」

 日下部は、がくんと頭を落とした。その光景は、悲しみにくれているような雰囲気だった。

「あの人がいけなかったんだ。せがれのことすらもわかっていない、あの人がデビューに反対さえしなければ…………」しかし、彼の言葉からはまったく悲しみの声は聞こえてこなかった。

 谷川は岩上の違う一面を見て、ただただ驚きを隠せずにはいられないだけだった。

 後々、警察が調べたところ、かぎから日下部の指紋が検出された。

あとがき

 シリーズ探偵である西山彩菜が介入しない、初の推理小説を書きました。正直なところ、なんとなくで犯人がわかるし、解決法もひどいものだと非難されるのも仕方ないと思える出来で、大変申し訳ない限りです……。それに、最後のほう解決の決め手を書くしもしましたからね……いや、書いたら犯人がすぐわかってしまうので、それの措置としてやったんですが。

 反省点が多いので、ちゃんと今後は勉強した上で、書いてみようと思います。

 この作品のプロットはもともと彩菜用に作成していました。というより、鷺宮家の別荘の本当のプロットはこれでした。ですが、いろいろ問題??そのひとつとして、彩菜の推理方法に関するのがあるんですが??もあったので、ノン・シリーズようにして、トリックもいささか変更して、形になったのがこれです。

 主人公は谷川にしていたのですが、いつのまにか岩上が探偵役になってしまったのは、自分でも少し驚いてます……。やっぱり、ちゃんと勉強しないとだめか……。

もくじ